2009年12月15日火曜日

「平和通りと名付けられた街を歩いて」 目取真俊

 目取真俊の「平和通りと名付けられた街を歩いて」を読んだ。彼の初期の作品だという。
 沖縄を故郷とする人、沖縄戦で肉親を失ったり自らも心身を傷つけられた人にしかわからない感覚を鋭く突き付けられる作品だった。理解できないだろうが理解しろ、という矛盾きわまりない要求で迫ってくる力を感じた。

 そしてアイヌ民族のことを連想した。現在も過去にも存在するアイヌ民族への差別や不利益について、僕は実感をもって想像することはできない。苦しい思いをしている人たちは、やはり、理解できないだろうが理解しろ、と迫ってくるのではないだろうか。

 気候風土も歴史もまったく別々の沖縄と北海道だが、日本の中央政府から理由のない差別を受け続け、人権を侵害され、貧しさを押しつけられてきた。

 実は、現在でも都市部で暮らしている人々の感覚で、僕らのような僻地の暮らしに大きな影響を与えるような法律や政策が決められ、生活上のいわれのない不便を押しつけられることが少なくないのだ。時には都会への憎しみのような感情を覚えることさえある。
憎しみをどのような形で訴えるか。この作品はそのことを問うていると思う。そして作者の目取真さんは、そこを原点として作家活動を始めたのだろう。

 目取真さんは、平和通りから歩き始めたのかも知れないな、とぼんやり考えた。

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