2009年8月20日木曜日

知床岬行(7) ダスビダーニヤ(さらば)モイルス

8月4日(火)

 モイルスを去る日が来た。昨日のクマは、個人的には良い体験だったが、「小中学生の加わった集団」にとってはきわめて危険で、対応せざるをえなかったわけで、個人的には強いジレンマを感じて忸怩たる思いもあった。

 そんなことも含めてたくさんの思い出が作られ、とても5泊6日の短期間の滞在だったようには感じられない。皆が起床前、毎朝の磯の散歩、イタドリで壁を作ったお風呂、岬の夜光虫や星たち。そして、知床の地にドッカリと腰を据えて子どもを育てようと「探検隊」に取り組んでいるスタッフの大人たち。どれ一つとっても強い印象となって心に刻みつけられた。スタッフの一人一人の印象は、また別の機会に書き留めておきたいと思うのだが。

 早朝、帰路についた僕たちは、モイルスの出入り口ともいえるタケノコ岩でまず足止めされる。相泊側への急傾斜を下るために、ザイルにスリングをブルージック結びで結びつけ、安全を確保しながら一人ずつ降ろすのだ。僕と同様に銃を持っているトウちゃんが先発し、僕は最後尾で待機する。
 タケノコ岩を降りてから化石浜まで、水冷火砕岩(ハイドロライト)の塊がゴロゴロしている迷路のような中を進む。デバリと呼ばれる磯だ。干潮の時間を選んできたし、波もないので楽に通過することができた。化石浜を過ぎようとしたとき、休憩中の班があって、その付近に強い異臭が漂っている。近くを見るとアザラシの死体が波打ち際に打ち寄せられている。こんな場所はクマにとって、非常に魅力的で、近くにクマが潜んでいる可能性は高い。隊列の中程を歩いていた僕が近づいていくと、それまでそこで休んでいた一行が腰を上げた。僕の後ろには二つの班がいる。それも「わんぱく隊」、小学校4~5年生を主体とする班だ。それらの班が通過するまで、一人でそこに残ることにする。たった一人でアザラシの死体=クマのご馳走とともにそこに残るのは、さすがに心細いなあ、など考えつつ、ボンヤリ海を眺めていた。生命が誰の助けも借りずに自分の力だけを頼んで生きる場所、いま、そんな場所にいるんだなあ。これはすごいことだなあ。
 幸いなことに特別なこともなく、全員がその場所を通過した。

 やがて観音岩を超えると人里がぐっと近づいてくる。ゴールの相泊はもうすぐだ。

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