不思議なことがある。
「敗戦」と言わず「終戦」という。
「戦死者」と言わず「戦没者」という。
言葉を弄び、新しい言葉を作り出すことで本質を曖昧にする。
日本人は野球が好きだ。野球にはスクイズという手段がある。三塁にランナーがいる時、内野にゴロを転がし、野手がそれに対応している間に三塁ランナーがホームインして得点する。もちろんこれはルールに則った正当な攻撃法で、このこと自体が悪いわけがない。しかし、投手が剛球を投げ強打者が打ち返して得点するという正統?なプレイに比べるとなんとなくウラをかいて得点するように思えてならない。
野球なら変化に富んだ攻撃法の一つとして面白さが増すスクイズであるが、言葉を弄んで言い方を変えることで本質のウラをかいて隠蔽するような態度や思考法には辟易する。そんなことが多すぎるのだ。「終戦」の日の今日、戦争をまるで自然災害ででもあったかのように表現したりする姿が目立つようで気になる。
世論も「二度と戦争はするべきでない」とか「平和が大切だ」とか言いながら選挙をすれば憲法九条を変えようとする政治家や政党が大量得票をする。その場だけの気分で、無責任で実の伴わない言葉を弄しているからこのような国になってしまっているのだろうか。
環境問題についても全く同じようなことが言える。たとえば、「ヤシ実の油から作った洗剤だから安全」などと言っていても、ヤシの畑を広げるために熱帯雨林伐採していることをどれだけの人が知っているのだろう。
言葉を弄ぶのは、いい加減にするべきだろう。
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