2009年2月9日月曜日

アチキの眼鏡

注:「アチキ」とはロシア語で眼鏡のことです。

子どもの頃から夢があった。
 メガネをかけてみたかった。子どもの僕にとって大きく偉大な父は、先天的な近眼でメガネをかけていた。それに憧れを抱いていたのだろう。
 小学校に入学し、視力を測定するようになって、自分の視力が「2.0」であることがわかった。メガネなどまったく必要ない、健全な眼であることを知った。もちろん、僕はそれを素直に喜んだ。その頃はもう、メガネを父親の象徴と感じて、自分もかけてみたいなどという気持ちは消え失せていたから。「視力2.0」の生活は、それ以来ずっと続いた。他にあまり自慢するものを持たない僕にとっては、数少ない自慢のタネであったことは言うまでもない。
 しかし、50代に入ったある日、突然視力の衰えを感じた。宇和島(四国、愛媛県)を旅行中のことだった。夜の市街地を歩いた時、店の看板が読めないのだ。北海道に帰ってから恐る恐る北斗七星のミザールを見てみた。すると、小さな星がすぐ近くに二つ並んで見えていたはずだったものが見えないのだ。その時の狼狽は激しいものだった。
 正式に視力を測定すると、かなり低下していることがわかった。それ以来、視力検査が怖いものに思えてきた。運転免許はギリギリで通過。狩猟免許の更新の時も、ギリギリだった。誰だって自分の身体の衰えを認めたくないものであろう。

 先日、思い立って眼科を受診した。視力は右0.5、左0.7であった。医師は、
「メガネを必要とするギリギリの視力です」とアドバイスしてくれた。
「メガネをかけたからと言って視力の衰えが進むということはありません」という医師の言葉を信じて、メガネを作ることにした。これまでの人生をメガネ無しで過ごしてきた僕にとって、これからメガネをかける生活は正直言って。だが、クリアの視界、遠くの物もよく見える眼というのは、魅力だ。射撃の照準も合わせやすくなるはずだ。今より本も読みやすくなるだろう。

 昨日、注文してたメガネが出来上がったと連絡が来たので、さっそく受け取り
に行った。初期の違和感がまだ残っている。だが、夜空を見上げて驚いた。星がきれいなのだ。今までも星空は美しいと思ってきたけれど、視力の衰えとともに徐々に滲みが出てきていたのだろう。眼鏡越しに見上げる星は、暗黒の宇宙にクッキリと浮き出すように輝いている。こんなにも美しい宇宙空間で僕たちは生きているのだ、とあらためて思った。そんな思いを抱かせてもらえただけで、メガネを作った価値はあったな、という気がしている。

 間もなくやって来るルーリン彗星もクッキリ見えることだろう。

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