2009年2月12日木曜日

高校入試

  今日は、高校入学者選抜検査だった。
 普通は3月4日なのだが、羅臼町では「連携型中高一貫教育」を実施しているために一般の学力検査(つまりは入学試験ネ)は実施しないのである。代わりに受検生は、知床学(知床の自然環境や歴史、暮らしに関する学習)で、自分で調べたことを試験官の前で発表するプレゼンテーションをするのだ。後は、面接と作文である。たくさんの中学生が、早朝から学校に来て、緊張した表情で思い思いのテーマのプレゼンテーションを行っていた。
 おそらく、彼らにとっては、生まれて初めて出遭う社会的試練であろう。2009年度の入学生になる。順調に行けば、2012年3月に卒業していく生徒たちである。全員が合格し、入学、そろって卒業していって欲しい、と心から思う。
 ただ、一般的に言って、昨今の中高生を見ていると勉強する動機が自分の心の中から湧き出していないような感じを受ける生徒が増えているように思う。なんか「勉強してやっている」というような態度がホンネの所に見え隠れしているように感じるんだなあ。周りも、なんだか本人に頼むようにして「勉強してもらっている」ように見えることがある。タテマエはともかく、ホンネがそれなんじゃないかな。だから学校への送迎だとか、買い与える物だとか、チヤホヤしているように見える。だが、それは大きな間違いだ。学ぶ営みは、自分自身の成長のためであるし、学問はすべて自分の身になるものだ。自分のために学ぶのである。
 そして、学問することを立身出世のための手段のように捉える、考え方からも社会全体でそろそろ卒業したらどうなのかなあ。

 「学ぶ営みは一人ではじめて、一人へもどっていく。はじめた自分ともどっていく自分とのあいだに、たくさんの人がはいればはいるほど、学んだものは高くなり深くなる。」
と書いたのは、むのたけじ さんだったと思う。(むのたけじ:詞集「たいまつⅠ」より)

 でも、高級官僚が天下りをして、財団や公益法人を渡り歩いて、法外な退職金を手にしている現実をみると、子どもの尻を叩いて頂点の大学を目指させたくなるんだよね。それが「国民感情」というものかもしれない。
 極東の島国の珍現象であっても、なかなか直らないものかも知れないね。

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