2011年9月19日月曜日

思い出すのは国鉄分割民営化の頃

 古い話だが、国鉄が巨額の赤字を抱えて喘いでいたとき、首都圏のサラリーマンへのインタビューが今も忘れられない。

 「過疎地のローカル線の赤字をわれわれ首都圏の人間が負担するのは、納得いかない」その人は、そうとう激しい調子でこんなことを言っていた。
 通勤のため、毎日鉄道を利用する人にとって、自分が負担する鉄道運賃が、日本のどことも知れないイナカで、鉄道の赤字を補填するために使われるとしたらやりきれないと感じるのだろう。

 かくして国鉄は分割され、民営化になってJRができあがった。
 そのお陰で、首都圏など大都市圏の通勤電車には、201系から始まり、速くて乗り心地の良い電車が次々に投入され、安い料金で便利に好きなところへ行けるようになった。 大都市で生活する人々は、そんな快適さ、便利さを享受できるようになったわけだ。

 その一方、過疎地では、一日3~4本の列車を無人駅で一人ポツンと待って、近くの地方都市の病院へ一日がかりで通うお年寄りの姿が見られるようになった。
 鉄道のある所はまだ、良い方で、バスしかなくなり、路線バスも廃止が検討されている地域も少なく無い。

 こんな現実を一方に放置しておきながら「一つになろう日本」だなんて、虫が良すぎやしないだろうか。
 「俺はなりたくないね。一つになんか」と言ってやりたい。

 「被災地の(直接の加害者は電力会社なのだけど)痛みを全国で分け合う」と号令をかけて、放射能を含む廃棄物を全国に分散させるというが、かつて国鉄再生のために地方に犠牲を押しつけたことをどう説明するつもりだろう。

 復興増税をするというが、国鉄赤字のツケをもっとも多く払わされたのは誰だったか、もっとよく考えてから決めてもらいたいものだ。

 被災地は気の毒だ。
 被災者を応援したい。
 誰もが素朴にそういう感情を抱く。
 そこにつけ込んで、自分たちの都合の良い方に物事を進めようという魂胆が見え透いている。

 冒頭に紹介した、首都圏のオトーサン!
 まさか今頃大声で
 「日本は一つにならなければいかん!!」なんて叫んでいないでしょうね。

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