2012年6月15日金曜日

「まつろわぬもの」のこと

草地へ、片道100メートルくらい散歩した。
 エゾセンニュウ、ツツドリ、シマセンニュウ、コヨシキリ、カッコウ、ノゴマなどの歌が響き、晩春から初夏への移り変わりを感じさせてくれた。
 怪我をしたからこそ、立ち止まって季節の移ろいをゆっくり味わうことが出来るのかも知れない。
怪我をしてありがたかったことがもう一つある。
 読書の時間をたっぷりとれることだ。お見舞いに本を持ってきてくれる友人、知人がいて、ベッドサイドには数冊の分厚い本が積まれている。
 
 僕をよく知る人たちが選んでくる本だからどの一冊をとっても興味深く面白そうな本ばかりだ。
 その中に「まつろわぬもの」という一冊がある。
 1918年(大正7年)北海道の屈斜路湖畔のコタンに生まれた著者シクルシイ(和名:和気市夫)の自伝だ。
 彼は、生後間もない頃から神童として知られ、第二次世界大戦直前の外務大臣である松岡洋右に見いだされ、英才教育を受ける。やがて、英語、フランス語、ロシア語、中国語、モンゴル語、ラテン語、ギリシア語などを身につけて、陸軍情報部付の少尉となり、松岡の命を受けてアジア各地で諜報活動を行った。

 実はまだ、読み始めたばかりなのだが、アイヌ民族と和人、日本と中国など諸外国との「界面の世界」に広がる怨嗟や欲望からなる闇に、その世界で実際に生きてきた人の視点から光を当てた本のように思う。戦後、第一生命保険相互会社の人権問題研修推進本部理事会の顧問を務めたシクルシイさんが、彼の前半生での体験を通して、これからの世界のあり方をどう考えているのかを読み取りたい。

 ESD(持続可能な社会のための教育)は、今やこれからの教育の核に据えられていく必要がある。その時に多文化共存、異文化理解、人権、民族などの問題は、それぞれ具体的な課題として重要性を増してくる。
 上辺だけの友好や国際交流に終わらせることなく、実効ある多文化共存教育を行い偏見や差別を払拭するには、シクルシイさんのような人について、われわれはもっと学ばなければならない。

 「まつろう」とは「順う」など書き、日本列島に先住していた民族で大和朝廷に服従しない民族を「まつろわぬ民」と呼んだ。蝦夷(えみし、えびす、えぞ)なども同じ意味である。
国民の生活よりも自分たちの利権を優先し、放射能に汚染された環境で国民を生活させて顧みない政府、消費税をつり上げ国民の暮らしを破壊しようとしている政府、そこで吸い上げたカネをアメリカのために貢ぎ、米軍基地のためなら国民の生命や安全など一顧だにしない政府に、われわれは「まつろう」わけにはいかない。

2 件のコメント:

  1. 霧野悠羅様

    回復傾向のご様子に安心いたしました。

    また、”まつろわぬもの”のご紹介ありがとうございます。
    私も早速購入して、読んでみたいと思います。

    当方の管理しますサイトのURLです。拙いものですが、お時間のある時に、覗いていただければ、幸いに思います。

    http://www.eonet.ne.jp/~kosmoso/

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  2. kosmosoさま:
    返事が遅くなりました。
    お許し下さい。
    この本、割合に分厚い本でしたが、一気に読めました。
    いろいろと示唆に富んでいました。

    サイト拝見いたしました。
    大変なご苦労をなさっていらっしゃるのですね。
    これからも、いろいろなことをご教示いただければ、と思います。

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