2012年9月23日日曜日

旅の記  その12

9月22日(土)  ブルノ(チェコ)~ウィーン(オーストリア)
 ブルノ発09時22分予定の列車に乗る予定でホテルをチェックアウトした。フロントで応対してくれた若者は、日本語修行中であるらしく、少したどたどしいながら十分役に立つ日本語を操っていた。  「日本語がお上手ですね。それなら十分に実用に役立ちます」と言うと嬉しそうにしていた。  ホテルは、駅の目の前にあるので、横断歩道を渡って地下道に入るとすぐに駅に着く。昨日までの好天から一変し雨の朝になっていたので、その意味でも駅近くにあるこのホテルに宿泊したことは、大変良いことだった。列車のチケットは昨日買っておいたので後は乗るだけである。 駅に行ってみるとウィーン行きの列車は20分遅れているという表示が出ていた。そのため乗り場が決まっていず、乗り場の表示が空白になっている。ヨーロッパの駅には改札が無く、誰でもいつでも自由にホームに出入りできるのだが、ブルノのような大きな駅では、プラットホームがたくさんあり、入り口の表示を見なければどのホームに行けばよいかがわからない。仕方がないので入り口の椅子に腰を下ろし、乗り場が決まるまで待つことにした。  後発の列車が次々に出発して行くが乗り場の表示がなかなか出ない。遅延した出発時刻の5分ほど前になってやっと「1番ホーム」という表示が出た。  ホームに出て少しするとオーストリアの真っ赤な電気機関車に牽かれた列車が入線してきた。  雨はいつの間にか上がっていた。刈り取りの済んだ畑の上をガンの大きな群れが渡っていた。どこから来てどこへ行くのか。気を付けて行こう、お互いに、と心の中で声を掛けた。  ウィーンに着いたとき、列車は遅れをだいぶ取り戻して、数分遅れただけであった。オーストリア国鉄は、なかなかやる。  地下鉄を二本乗り継いで、宿泊予定のホテルへ。  ウィーンは大都市だから、ホテル代も高い。路地裏の古い小さなホテルに泊まることになった。チェコやポーランドの「お大尽」暮らしから一挙に庶民に戻された感じだ。  しかし、居心地は悪くない。世界中どこへ行っても金太郎飴のようなサービスを受けられる「一流ホテル」よりも、昔からのオーストリア流を譲らないこんなホテルがオツなのだと思う。  フロントのおばさんは座ったままで応対し、強いドイツ語訛の英語はなかなか耳になじまないけれど、このホテルでの生活も楽しみである。  部屋に荷物を置いて町に出た。  すぐ近くに大きな美術館や博物館があり、興味をそそる。早速レオポルド美術館へ出かけるとそこはクリムトやシーレなど20世紀初頭にウィーンで活躍した画家たちの作品が展示されていた。  夕食は市場でトルコ人らしいおじさんの作るケフタ、ファラフェル、フムスなどトルコ料理にした。路上の椅子を並べた店で、高級店ではないが味は一流だった。トルコ系のオーストリア人ということで、いろいろな苦労もあるのだろうなと思いながら料理を味わった。  メニューにトルコ語、英語、ドイツ語、ロシア語での注文可能、と書いてあるので片言のロシア語で話しかけてみた。ロシア語にあまり良い印象を持っていないかも知れないと思いながらも会話が盛り上がり、楽しい一時だった。  ウィーンは国際都市。美術館のカフェでは、注文のやりとりをウェイトレスと英語でしていたが、たまたま「エスプレッソの大きい方をもらおう」と内輪の話を日本語でしたのを耳にして、急に日本語を使い出したので驚いた。  こちらは、そのウェイトレスを東洋系の人だとは思ったが、日本人だとは思わなかったし、向こうもこちらが日本人だとは思わなかったのだろう。  今までの旅を異なり、大都市の波にもまれながらも楽しい滞在になればいいと思う。

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