その先に何があるのか。
「進路指導」の様子を見ていてしばしば思ったものだ。
「夢を持て」と言う。特に若者に。
夢を持ってそれに向けて努力していけば必ずかなう、と言い聞かせる。本当だろうか?かなうような夢は、本当に「夢」と言い切ってよいのか?僕たち「大人」は、そう言い聞かせて若者たちを飼い馴らしているだけではないのか。
「夢」にもいろいろあるだろう。
かつて、「大学に進み、研究者になりたい」という生徒がいた。
「公務員にりたい」という夢を持った生徒がいた。
「大会社に入って出世し、金持ちになりたい」という生徒がいた。
「強いサッカー選手になりたい」という生徒もいた。
本当は、その先に本当の夢がありはしないか。
何を研究し、その成果をどう生かしたいのか。
公務員になって、この日本をどうしたいのか。
お金持ちになって、お金をどう使いたいのか。
サッカー選手として、身体を鍛えて何をしたいのか。
結局、どういう生き方をするのかを見通すことが大切なのではないだろうか。
それが夢だ。
「何になるか」はその手段にすぎない。
学校の現場では、キャリア教育に力が入れられている。だが、現在行われているキャリア教育で、生の意味と目的が真剣に論じられているだろうか。多くは、@¥「自己実現」などという曖昧な一言でお茶を濁し、「実社会」に適応するノウハウを伝授し、希望する進路を実現することに生徒のエネルギーを振り向けていくことが主体となっているのではないだろうか。
人生の目的や人間愛、社会の不正を暴き糾弾する力をつけてやること、そこまで見据えていなければ「教育」を標榜できない。
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