2009年1月9日金曜日

反省したこと

 昨日、父とちょっとした言い合いをした。
 妹から携帯電話のEメールが来た。帰る僕を見送りたいが、どこで合流したらよいか、というような内容だった。それに対して僕は、込み入った内容だから直接話し合って決めようと考え、「電話で話そう」という返事をEメールで送った。
  父が傍にいて、妹がどこからそのメールを送ってきたか、ということをしきりに気にしていた。彼女にはその日、朝から出かける予定があることがわかっていたからである。
 携帯電話のメールだから詳しい内容は書かれていない。彼女がどこにいるかなど、わかる訳がない。わかる訳のないことをいつまでも気にする父に、僕は少しだけイライラした。そこで、「わからないことについてあれこれ考えるよりも、いま手に入っている情報を基に、次の行動を考えた方が合理的ではないか。」というようなことを言った。

 しかし、言った後で、すぐ次のようにも考えた。
  僕らは、いつも何気なく携帯電話やパソコンのEメールなどを使って会話(情報交換)していることが多い。いつの間にかそれを当たり前のことと感じている。だからメールの限界もわきまえているつもりだし、「手に入らない情報をあれこれ考えるのは無駄」という意識が知らないうちに出来上がっているのかもしれない。昨年米寿を迎えた父は、携帯電話やメールなども使ってはいるが、間違いなく一世代前の価値観で生活している。そのため、思考のテンポがゆっくりしているのかも知れない。いや、それは逆で、携帯やインターネットの世界がいつの間にか「日常」になっている僕(たち)の方が、思考のテンポを異常に早めて、「無駄なことは考えない」などと賢しげに口にしているのでは、あるまいか。
 日頃から近代文明に対する疑問と不信を感じているつもりだったが、いつの間にか僕自身も近代文明のスピード感に自分を合わせ、それからほんの少し遅れた思考テンポを持つ父に、ある疎ましさを感じたのではないだろうか。
 自分の了見の狭さを痛感し、反省した一コマでありました。

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