2012年3月14日水曜日

おしまい の はじまり

どうしても最近は、昨年の日記を読み返すことが多くなった。
 昨年の今日、3号機爆発。
 大変な事故だし、衝撃的な映像だが、その後マスコミではあまり流れなくなった。
 この映像が流れなくなったとことが、原発事故を隠蔽したいという、この国の権力者の願望や姿勢を鮮やかに示している。

 いま、あらためて日本がファシズムへの傾斜を強めたことに気づく。
 民主主義を心の底から渇望し、渇望した末に行動を起こし、血と汗で闘い取った経験の乏しい国には、江戸時代から続く形式主義と、屁理屈そのものといえる法の解釈によって、政治が権力者の思い通りに歪められ、逆らう者を強権で圧迫するやり方がまかり通っている。それは、当然の成り行きなのかも知れない。

 その結果、第二次世界大戦の直前には、国際的に孤立を深め、世界を相手に戦争を起こして手痛い敗北を喫した。
 アメリカは、そこにつけ込んで、反共の防波堤として日本を育てて、今日の為体(ていたらく)になったのだろう。

 この太平洋の西の外れにある小国は、もはや日本海溝に向かって、滑り落ちるように沈んでいくしかないのかも知れない。

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