2012年3月15日木曜日

夜汽車

夜汽車が好きだ。
 鉄道を見ればなんでもかんでも「デンシャ!デンシャ!」と呼ぶような人にはわかるまい。「テツ」と呼ばれようと「オタ」と呼ばれようと「デンシャ」と「キシャ」は違う。
 電車は汽車だけど汽車は電車ではない。

 逆上気味に書き出してしまったけれど、とにかく夜汽車が好きなのだ。「ヨギシャ」なんてもう死語同然かも知れないが、ワープロでは、ちゃんと変換されているのだ。
 始発駅を出発してまもなく、レールのジョイントを渡る規則正しいリズムを背景に、途中の停車駅と定時到着時刻を知らせる車掌さんのアナウンスが流れる。
「弘前到着、20時14分。
 大鰐温泉、20時27分。
 大館 20時57分。
 鷹ノ巣  21時14分。
 東能代  21時39分。
 秋田   22時28分。
 羽後本荘 23時08分。
 酒田、日付が変わりまして0時01分」
えんえんと、停車駅名と時刻が読み上げられ、最後に、
 「終点大阪には、10時27分の到着予定でございます。」で終わる。
遠くの駅へ進むほど、夜が更けていく。夜の旅路の長さが、そこからも感じ取られる。

 「日本海」の元となる急行列車が大阪~青森間に運転を始めたは、1947年のことだそうで、1950年11月この急行に「日本海」という名が付けられた。
1968(昭和43)年10月1日のダイヤ改正(通称ヨンサントウ改正)で「日本海」は急行列車から、晴れて、寝台特急「日本海」となった。
 このダイヤの上では寝台特急「日本海」を新たに設け、以前の急行「日本海」は急行「きたぐに」と改称された。

 北海道と内地の間は、江戸時代以来長期にわたって日本海沿岸を通る北前航路が主役だった。北前船の寄港地には、関西と北海道に共通する言葉や道具、習慣などが少なくない。
 知床の羅臼町の漁業も、富山県から移住してきた人々の技術が、その基盤になっているという。
 明日から、日本海に沿う夜汽車の旅に出るつもりだ。

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