2012年3月19日月曜日

嘆きの日本海


 ANA403便は、神戸空港を離陸し、瀬戸内海上空をしばらく西に向かって飛びながら高度を上げた。
 大阪湾には、伊丹空港と関西空港があり、第三の空港である神戸空港からの航路を割り込ませる余裕がないからだろう。

 やがて、大きく右に旋回し日本海に出た。眼下に丹後半島や舞鶴、敦賀などが見える。続いて能登半島を横断して陸地から離れ佐渡上空にさしかかる。それから飛島の上を通って男鹿半島から陸奥湾を横断して苫小牧沖から千歳に向かった。
 寝台特急「日本海」の最終列車を見送る旅は、結局、来る時の道を空から逆戻りするようなルートだった。もっとも、往路は千歳から大阪までで22時間ほど、復路は2時間足らずだったけれども。

 とにかく、このことからも近畿地方と北海道を結ぶ最短ルートは、日本海まわりであると理解できる。
特急に昇格し、「日本海」という愛称が付けられて61年間、走り続けてきた列車の歴史は終わった。
 「今朝の大阪は、『日本海号』との別れを惜しむかのように、雨となっております。『寝台特急日本海』は、通常のダイヤから消えるわけでありますが、皆様方の心の中で、いつまでも汽笛を響かせていることでしょう」
 終着駅大阪に着く直前、車内アナウンスで流れた車掌さんの言葉だ。さすがに、目の奥がツーンと痛くなった。

 帰りの機内から見下ろす日本海は、冬型の気圧配置のせいで、雲が多めで、地表はかすんで見えていたが、海岸線の形は、よくわかった。考えてみると、敦賀から能登半島にかけての海岸には、原子力発電所がひしめき合うように建っている。それらのすべてが、太平洋側にある大都市に電力を供給するためのものだ。
 太平洋側の「繁栄」のために、美しい日本海の海岸と海が、引き裂かれ、汚されている。 誰かわからぬか、「繁栄を推進した者」たちは、自分たちの欲望のために、煩わしいもの、面倒なもの、回復不能なほど危険な事態を引き起こすかも知れないもの、厄介なものを、全て日本海側に押しつけたである。

 そして、それを平気でやらかす精神構造は、今も依然として続いている。

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