2011年5月2日月曜日

鶏と原子力発電

 昨夜は十勝管内中札内で一泊した。
 道の駅で「停泊した。

 朝、「中札内地鶏の唐揚げ」というのを買ってみた。胸肉を大きなブロックに切り、カリッと香ばしく揚げられていた。味付けも薄味でとても美味しかった。
 5つの入って700円だった。1個140円。
味には満足したが、
 「ちょっと高いね」という感想が出た。

 そう口に出した途端にハタと気づいた。
 僕たちは、知らず知らずのうちに「安いこと=良いこと」という価値観が強烈に染みついてしまっているのではないだろうか。
 いつの間にか、「コスト意識」なる化け物に取り憑かれているのではなかろうか。

 ある一定の条件の下では安いことは、消費者として望ましい。

 しかし、なんでもかんでも
 「より安く、さらに安く」と血眼になっているうちに、素朴な手作りの唐揚げの味よりも、アメリカ発の「健太式鶏の唐揚げ」などの味に慣らされ、それが一番だと思い込むようになってしまったのではないだろうか。
本当は、狭いケージで大量に飼育され、管理優先のため、短期間で肥育できるように、調整された飼料を多量に給与されたニワトリを使い、調理にも添加物などが使われているかも知れないのだ。
 そうでなければ、あれほどの安い値段のフライドチキンはできないだろう。

 以前から言われていることだが、高くてもそれだけの値打ちのある物も世の中には少なくないのだ。

 そして、発電にもそのことは当てはまるのだ。
 原理力発電を普及させるために「原発は安い」という口実が使われていた。頻繁に使われていた。今も使われている。
 本当は、今回の東京電力の事故でわかるとおり、一度事故が起きると、見当もつかないほど高上がりなのだけれど、とにかくそう理由づけられていた。

 そして「安い」というのはそれなりの説得力を持つ。

 電力会社の言う通りに(随伴する間接的な経費や使用済みウラン処理のコストなどを無視して)本当にコストが安かったとしても、その安さと引き替えに失う物が大きすぎるのではないだろうか。農家の財産、水産業者の収入、そして子どもたちの健康、などなどなど。

 世の中には、コストだけで考えてはいけないものもあるのだと、中札内のアラアゲ屋さんのおばちゃんに教わった気がする
 

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