2011年5月23日月曜日




草地のエゾヤマザクラが咲き始めた。

 今の家に引っ越してきた時にはすでに「古木」であった。
 引っ越してきて16年。変わることなく春が来るたびに花を咲かせる。

 サクラは毎春、変わることなく咲くが、人は老い、花を愛でる顔ぶれは移りゆく。
 人の暮らしの変化のテンポは、サクラの樹の刻むリズムとは比べものにならぬほど早い。

 サクラの正確な時の刻みに自然のリズムの正確さとおおらかさ、そして、圧倒的なスケールを感じる。
 それは、あの津波のように、想像を超えたスケールであろう。

 そして、原子核が崩壊して解放される、核エネルギーのスケールも同じであろう。

 デルス・ウザーラの言葉を思い出す。
「火、怒る時、怖い。
 水、怒る時、怖い。
 風、怒る時、怖い。
 火・水・風、三人の強い人」

 ヒトは長い時間をかけ、火を制御する智恵を獲得した。
 次に、電気を使いこなす技術を身につけた。
 もちろん、今になってもまだ、火事で大きな犠牲を出したり、電気の事故を起こしたりしているが、
「危険だから火や電気はゼッタイに使わない」というヒトはまず、いないだろう。

 原子力は、そのエネルギーを完全に制御し、使い終わった核燃料などの廃棄物を安全に処理し、悪意ある不正な使用を完全に封じ込める方策やモラルは確立されていない。

 「原子力」と聞いて、即座に否定するつもりはない。けれども、少なくとも現段階ではヒトが使いこなせるモノになっていないと思う。

 それを作ったり輸出したりして、多くのメーカーが儲けているのだから、その行為は愚の骨頂と言わざるを得ない。
 どんなものでも金儲けのタネにしようとする者たちの犯罪が、今も進行している。

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