2011年6月23日木曜日

原発と鉄道唱歌

 沖縄完全占領の日

「鉄道唱歌」をご存じだろう。
   汽笛一声新橋を
   はや我汽車は離れたり
   愛宕の山に入り残る
   月を旅路の友として

これが一番の歌詞だ。全部で374番まであるという。
 歌詞にある通り、鉄道で旅客が乗るのは「汽車」なのだ。
 いつの頃からか、多くの人が「デンシャ」と呼ぶようになった。
 根室本線厚岸駅あたりで「次のデンシャは何時ですか?」と質問している人をみかけた。

 けれど、鉄道を走る車両は汽車なのだ!
 電車である場合もあるが気動車(ディーゼルカー)の時もあるし、最近はめっきり少なくなったが機関車に牽引された客車の時もある。
 旅客は乗らないが貨車の場合もある。
ちなみに厚岸駅ではどれほど待っても、電車は来ない。根室本線は非電化区間だから。
 
 鉄道の車両をあえて総称を探せば「列車」と呼ぶべきだろうか。
 しかし、「列車」にも厳密な 定義がある。
 すなわち列車とは、「停車場外の線路を運転させる目的で組成された車両をいう」(鉄道運転規則)なのである。

 だから、正しくは
 「次の列車は何時ですか」と尋ねるべきだ。
 その固い言い方に抵抗があれば「汽車」と呼ぶのがいい。

 どう間違っても「デンシャ」と呼ぶべきではない。電車は電化された区間しか走れない。根室本線は非電化区間なのだから。

 だが、田舎の中高生は、「汽車」という表現に少なからぬ劣等感を感じているようだ。
 あるいは、都会の人々の中には自分たちの使っている「電車」という単語に優越感を覚えているかも知れない。だから釧路や根室のような非電化区間に来てもやたらと「デンシャ」をひけらかすのではないだろうか。

 だが、電車は、外から電気を供給されなければ一瞬でただの金属の箱(最近はアルミニウム製が多いからお弁当箱と同じですね)になってしまうシロモノだ。そしてその電力は赤字ローカル線切り捨てで、電車も通わぬような土地の発電所で作られているのだ。中には、近隣住民の生活を犠牲にする原子力発電で作られている!

 現代の日本では、電車ばかりを極端に発達させ、200キロ、300キロという高速で突っ走らせている。
 その方向が正しかったのだろうか?
 「汽車」が、ゆっくりと、しかし力強くたくさんの人や物を運ぶのも悪いものではないなと考えるのだけれど、どうだろう。

 まして、便利さ、快適さ、カッコ良さを鼻にかけているかのように、鉄道車両を見るとやたらに「デンシャ・デンシャ」を乱発するのは、少々軽薄じゃないのかなぁ?

 今度、東京に行ったら山手線の駅で、駅員にきいてやろうかな。
 「次の汽車は何時なの?」と。  

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