2011年6月29日水曜日

ワラビとエネルギー

 今年の5月頃だったろうか。
 函館市から転勤してきた山の好きなN先生と二人で生徒を連れて外で授業をしていた。「野外活動」の授業だったと思う。
 校地周辺の植物を観察しながら歩き回っているとタラの樹にちょうど食べ頃の芽が出ているのを見つけた。
おっ!と思って眺めているとN先生と目が合った。おもわず二人でにんまりした。

 授業が終わっていそいそと採りに行った。一回食べる分量を採ってきて食べた。美味しかった。まだたくさん残っていたが、自分に必要なだけを採ることにしている。
 少し遅れてN先生もやって来た。彼も一人分の量を採っていた。
 もちろんタラの芽はまだ結構な量が残っていた。

 ああ、この人も僕と同じく、自分に必要な分だけ採る人なんだなと思った。


 わが家の入り口にワラビが生える。通りがかりの人が目ざとく見つけて採っていくことがある。
 いくら自分の土地に生えているとは言っても、野生のワラビだから見つけた人が採っていって構わないと思う。

 ただ、中には道路に沿って、目を皿のようにして路肩を探し、手当たり次第に取りまくって山のように持ち去る人がいる。
 こういう人は、20kg入りの米袋に何袋もワラビを詰めて車のトランクに入れている。
 タダの物は、取れるだけ取ってやろうという、むき出しの欲望を見せつけられているようで、良い気分になれない。

 こういう思想は狩猟採集文化の民族には無いとよく言われる。
 先住民の考え方の基底に、自然資源の持続可能な利用の方法を守る生活の知恵が息づいているという。

 脱原発による電力不足を補うために自然エネルギー(あるいは「再生可能」エネルギー)の利用という方針を支持する人は多い。その考え方自体に反対するつもりはない。
 だが待て、と思ってしまうのだ。

 タダだから使えるだけ使いまくって良いはずはない。
 「再生可能」というけれど、発電のための施設を建設してしまえばその場所は生物の生活の場としては再生できなくなってしまう。
 十分に吟味し、慎重な選択が必要だろう。  

「脱原発」を唱えるなら、効果的な「再生可能」エネルギーの開発と並行して、不必要なエネルギーは使わないようにするという慎ましやかな自制的な態度がどうしても必要だろう。

 わが家の前のワラビを根こそぎ取り尽くすような気分で、エネルギーを浪費し「生産活動最優先」「儲け最優先」「経済成長がなければ死んでしまう」と信じている人々を追い詰めて減らしていくことが、これからは重要になってくると思う。

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