都会から距離を置いて暮らすようになってから20年近く経つ。人生の三分の一近くを田舎で暮らした。
JRの駅まで25キロ、一番近いコンビニまで15キロ。自宅の新聞受けまで130メートル離れている。
すぐ隣の家まで500メートルはある。どんなに騒いでもまず、叱られることはない。
そんな場所で暮らして20年。
自分自身と都会の論理のズレをいろいろと感じる。
都会というのは、多くの人間がひしめき合うように暮らしつつ、様々な役に立つ「モノ」や「コト」を作ってくれていて、僕たちもその恩恵を受けながら暮らしていることは間違いない。
同時に、ほとんど無用で価値のないものや、多くの害悪や迷惑を垂れ流すものも都会から発せられている。
そして、都会の一部のニンゲンには、地方に対してお金や利権を与えることで意のままに操ろうという考えがある。
米軍基地や原子力発電所などはその代表例だろう。
「日本の安全のため」とか「生産性向上のため」という理由で、都会の都合を地方に押しつける構図だ。
原子力発電所の事故収束の見通しが全くつかず、震災の復旧もほとんど進んでいない段階で、経済の復興を夢想している「経済人」や愚にもつかぬ政争を繰り広げる政治家たちの姿を見ていると、都市生活者の傲慢と身勝手さを感じる。
以上、きょう、沖縄では、普天間基地を移転問題で、辺野古にV字型滑走路を作ってさせる政府の案を仲井真沖縄県知事に伝えたこと、さらに普天間に事故を多発し離着陸時の騒音も桁違いに大きい「オスプレイ」という新型輸送機を配備することも伝えられたというニュース(あまり大きく取り上げられていないけど)を聞いて、ふと思ったことである。
太宰治だったろうか?
「家庭の幸福は諸悪の根源」と書いたのは。
本当は、「都市の幸福は諸悪の根源」なのかも知れない。
2011年6月13日月曜日
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