2009年7月8日水曜日

探鯨譚(クジラをさがす話) その8

7月7日(火)

 七夕であり、満月であり、小暑である。
小暑であるが非常に暑い。(羅臼にしては)

 晴れと凪が二日続いた。こんな日は海に出たいものだ。油を流したような水面に憩うマッコウクジラの背中を見て、噴気のリズムに身をゆだねていたい。
舷側にあたる波の音、海鳥の鳴き声を運ぶ風が、幻想のような眠りに誘ってくれるだろう。
 昨日、アルクティカをガス欠させてしまった。ぬかっていた。どこかに精神の緩みがあるに違いない。
 自戒自戒。
 
 探鯨譚(クジラをさがす話)   その8
 食物連鎖や生態系ピラミッドは、今では多くの人々に知られた知識である。小中学生もいろいろな場面で登場するこの概念はよく理解している。(ように見える)
 しかし、これくらい観念が先行している概念は他にないかも知れない。子どもに限らず大人である教師も同様だ。ホエールウォッチングを単なる物見遊山と同一視している人も少なくない。そんな人たちにクジラを見せても、ブタに真珠かも知れない。
 クジラと同じ空間に身を置くこと自体に意義があるし、全ての学習はそこから始まるはずなのだが。
 環境教育におけるホエールウォッチングの意義がもう少しだけでも広く理解される日はいつ来るのだろう。

2009年7月6日月曜日

探鯨譚(クジラをさがす話) その7

昔、日本近海郵船で釧路・東京間のフェリーに乗客も乗せいていた時代があった。30時間以上かかった。午前中に釧路港を出港して東京の晴海に着くのは翌日の宵だった。おそらく日本国内最長の船旅の一つだったろう。
 何度かこの航路に乗った。中で、もっとも印象に残っているのは8月中旬、お盆の頃のことだった。三陸沖を航行する船は、これ以上ないような凪の海を進んでいた。暑い日で乗客はほとんどデッキに出て夏の船旅を楽しんでいた。時々イシイルカが併走して目を楽しませてくれる。イルカに飽きると舷側に目を転じる。タチウオが銀色に光って泳いでいるのが見える。そのうちにウミガメが見えてきた。なんとマンボウもいた。信じられないくらい次々と海の生き物が姿を見せる。僕は、海面から目を離すことができなくなって、ずっと見続けていた。
 そして、ついに、船から2~300メートル離れた海面が盛り上がって、大きなクジラが全身を現し、次の瞬間大きな音とともに派手な水しぶきを上げて着水したのだ。ブリーチングと呼ばれている行動である。
 あのクジラは何の種類だったのか。果たして本当に起こった事実なのか、夏の太陽に狂った頭が描いた幻だったのか。今となっては確かめようもない。 

2009年7月5日日曜日

探鯨譚(クジラをさがす話) その6

 根室に泊まった。日本野鳥の会北海道ブロック協議会総会のためだ。
 今の季節、根室市は日本でもっとも夜明けが早く訪れる。朝、4時半に起きて探鳥会に出かける参加者を見送る。上空の厚い雲の上に日本一早い太陽があると思われる。
 僕の仕事はこの後、市内の保護区視察を案内することだ。
 
 今朝は、午前5時から探鳥会。

探偵譚(クジラをさがす話)  その6
 クジラとの付き合いは、結構古い。標津高校にいた頃、標津から出るホエールウォッチング船に毎年乗せてもらった。体調を崩して、今ではもうやめてしまった船会社の社長や船長さんは、「地元の子どもたちに是非見せたい」と熱心に運行していた。今、考えると先見性があったなあ、と思う。そのお陰で標津高校の生徒たちもずいぶんお世話になった。僕自身も「ホエールウォッチングを取り入れた授業」の意義をそこで実感できた。
 標津沖で見られるクジラはミンククジラだ。ミンククジラは、髭クジラ類としては小型の種であり、ダイビングする時も派手に尾を挙げたりしない、観察対象としては地味な種である。しかし、観察船の近くにブローを吹きながら浮上する様子は迫力があるし、ハシボソミズナギドリの群れの中で採餌する姿は、海の物質循環をわかりやすく示していると思う。
 今年五月、紋別市沖でガリンコ号から海鳥の調査をしていたとき、久しぶりにミンククジラに出会った。6~7年ぶりの再会だったと思う。無性に懐かしかった。

2009年7月4日土曜日

探鯨譚(クジラをさがす話) その5


                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                 あくまでもひとつのファンタジーである。
 クジラは、本当はニンゲンよりはるかに賢く、世界と世界の仕組みを理解し超然といきているのではないだろうか。クジラに限らずすべての動物がそうなのかも知れない、という仮定が成り立つような気がする。

 ホエールウォッチングの船が近づくとサッと海中に姿を消す。次に浮上する点は日ロの中間ラインを超えてロシア側に少し入った点であることが、少なからずあった。本当に彼らは日本のウォッチング船がこのラインを超えられない、というニンゲン側の事情に精通しているかのようだった。
 だから我々がクジラの姿をジックリ見られるのは、偶然ではなくクジラの側に「まあ、見せてやってもいいか」という意志のある時だけなのかも知れない。何百キロも離れたクジラ同士が連絡を取り合って、
「今度はキミの番だから少し姿をみせてやれよ」
「わかったヨ。でも、あの船の船長はスピーカーでよくしゃべってうるさいからナア」
「まあまあ、そう言わずに。明日は僕が出て行くから」
などとやりとりしているのかも知れない。

 もちろん彼らはこのような言葉を持っていないかも知れない。それは、「言葉を持たないから遅れている」のではなく、「言葉を必要としないほど進化している」のかも知れないではないか!

 以上、何の根拠もない幻想であるが、彼らの行動や彼らのリズムに接するとき、なかなか頭から離れないのも事実である。 

2009年7月3日金曜日

探鯨譚(クジラをさがす話) その4


その日のクジラの行動は初めて経験するものだった。 これまで、何度かマッコウクジラを観た経験はあった。初めて経験したのは、ノルウェー北部ロフォーテン諸島アンデネス沖合だ。マッコウクジラは深海に潜って採餌する。潜行時間は20分から40分と言われている。潜行と潜行の間、海面に漂いながら休憩している(ように見える)。ウォッチング船は、休憩中のクジラを探し出して近づいていく。規則的にゆっくりと呼吸(「ブロー」というようだが)しているクジラに近寄り、静かに見守る。休憩を終えたクジラは、おもむろに潜水に移り、別れを告げるように尾を高々と挙げて海中に姿を消す。それまで息を潜めてじっと見守っていた人々は、この時、一斉に「ダイビーング」と叫んで異様な興奮に包まれる。クジラが沈んでいった海面は、沸騰しているように水の塊が湧き上がってくる。それを見て、人々はあらためてクジラの力強さを感じ取るのだ。アンデネスのホエールウォッチング(アンデネスでは「ホエールサファリ」と呼んでいた)は、およそこのような点順の繰り返しで行われていた。北極圏にある町だから夏の間は太陽が沈まない。「午後8時出航」などということも珍しくない様子だった。 根室海峡のマッコウクジラもほぼ同じような順序で観察できていた。ところが、先日、6月30日の遭遇は、かなり違っていた。全体では10回くらいの観察機会があったのだが、その大部分がブローを発見し、船が近づいていく途中で鯨が潜水してしまう、というものだった。したがってこの日は、10回もの観察機会があったにも関わらず、少しだけ物足りなさの残るホエールウォッチングになったように感じた。 原因は、わからない。たまたまそのようなタイミングが続いただけかも知れない。 あるいは、18日ぶりに現れたマッコウクジラだったのでウォッチング船に慣れていなかったために警戒心が強かった。 ムシの居所が悪かった。 ウォッチング船を鬱陶しく感じるようになった。 お腹が空いていたので、海面での休憩時間を長くとらずに精力的に潜水した。などなど。
 クジラの気持はわからないが、根室海峡のクジラたちが、ウォッチング船をうるさく感じるような事態に立ち至らないことを切に願うものである。
http://www.whalesafari.no/a/?id=66&vn=738 アンデネスのホエールサファリHP

写真は上記HPより借用

2009年7月2日木曜日

探鯨譚(クジラをさがす話) その3


 根室管内初任者教員研修会「郷土学習」の講師として羅臼湖へ案内する予定だったが、昨日から休み無く続く降雨のために羅臼湖行きは中止となり、ビジターセンターの展示やルサ川での水生昆虫採集実習などを行った。

 ビジターセンターの展示、バスの中、ルサ川とほぼ連続的にしゃべりっぱなしだった。「羅臼湖へ案内した方がらくだったなあ」と思わずホンネの愚痴が飛び出した。
 それでも、若い教員の熱心な姿勢に、話をする僕の方もつい引き込まれて、多くしゃべってしまう。どちらかと言えば快い疲れである。

   探鯨譚(クジラをさがす話) その3
クジラは不思議な動物だ。まず、圧倒的に大きい。その大きさは、地球や自然界のサイズを象徴しているようだ。人間は、自分をはるかに超えた存在に対して直感的に畏れるものではないだろうか。
 それは、クジラのみならず自然の営み全体に対する畏敬の念へと拡大していくのだろう。クジラはその象徴なのである。クジラを「観る」ことだけで、大きな教育効果があるだろう。知識は後からそれを裏付ければよい。

探鯨譚(クジラをさがす話) その2


7月1日(火)の分
 初めてクジラを見たのは、やはり根室海峡だった。羅臼ではなく、標津沖のミンククジラ。羅臼に転勤する前の学校にいた頃だった。その大きさとリズムに圧倒されるように感じた。船のすぐそばに浮上してきたところを見たことがあった。浮上直後の噴気(ブローという)の音が耳のそばで聞こえた。大音響というわけではない。もちろん囁くような音でもないが。圧倒的に量感のある音。だが、ずっと聞き続けたいような温かみのある音。その音を文字に直すことは、(僕の能力では)不可能だなあ、としみじみ思った。
あまりに深い感動に下手くそな歌を詠んだ。

  バシューという音、突然に後ろよりふりむけばクジラ姿現わす

  突然の噴気水面(みなも)を突き破る。人の奢りをいさめるごとく

  滑るごと巨体波間に沈みゆく汚されし地球かばうごとくに