2012年5月31日木曜日

総理大臣の大バクチ

朝、初夏らしい日差しと若々しい草いきれ、ウメやサクラの花びらが舞い散る。林床にはオオバナノエンレイソウ。ノゴマ、コヨシキリ、カッコウ、ツツドリが賑やかにさえずっている。
 こんな日が、北海道では、5月末から6月始めに必ずやって来る。さほど多くないが、必ずある。これに気づいたのは中学か高校ぐらいの頃だった。あまりにも短いが一年を通じてもっとも気持ちの良い日。もっとも好きな期間だ。

 今日は当然、バイク出勤だ。
 最近、とりわけて重く感じるようになった車体を車庫から出し、押しながら、この「特別な日々」をあと何年味わえるか、とふと考えた。
 諸行無常だ。未練はない。確実に減っていく「手持ち」の一年一年を、丹念に慈しんでいこうと、あらためて決意し、ヘルメットを被った。

 昨年の5月末日は、台風2号から変わった低気圧による強風で海が大荒れだった。風が束になって吹き、シュプレヒコールのようだった。海では、見渡す限り白い波が立っていた。それを見て、

幾千の波頭きらめき押し寄せる 不浄なる者を詰る(なじる)ごとくに

 押し寄せるスクラムのごとき白波の 振り上げるこぶし 泡立つ怒り

包囲する千万の波 途切れずに 白き波頭の旗を打ち振り

 などという3首を詠んでいた。
 あの波と風に首相官邸を包囲させたいと思う。

 あの事故以来、一年間、原子力発電のことばかり書き続けた。
 「理科系」の人間の端くれとして原子力とどう向き合うか、自分なりに考え続ける日々だった。

 今日、野田首相が大飯原発の再稼働を「決意」したというニュースが一斉に流れた。野田首相が「私の責任で」と言っているらしい。
 約10万人の人が依然として避難生活をしている。その数倍の人が避難したいと考えているかも知れない。
 子どもに屋外プールを使わせるかどうかで大騒ぎしている。原子力発電や放射能の受け止り方の食い違いで、無用な対立が起き、いがみ合っているケースも多い。家庭の崩壊や自殺も無数にある。
 大飯町がこのような状態になった時、どうやってこれらの責任をとるのだろう?
 野田の皺腹を切って解決するとは、誰も思えないだろう。
 「私の責任で」とは、「とにかく強行してしまう」という意味なのだと思う。

 今回の再稼働は、地震や津波のような災害が無ければ大丈夫、という一種の賭けなのだと思う。そして、確率から言えば、稼働期間中に災害が発生する危険性は、さほど大きくないかも知れない。
 だが、そんな危険な勝負に、大飯原発周辺の住民が自らの意志とは無関係に、巻き込まれているという現実ではないか。賭をしている張本人は、十分離れた安全な場所から、それを眺めているという構造なのだ。
 もちろん大阪の市長も含めてのことだ。そう言えば、彼はカジノ推進論者の一人だったな。

2012年5月30日水曜日

高校生を黙らせる

「野外観察」の授業で峯浜の草原まで出かけた。
 ふだん活動している場所は、谷沿いの傾斜地が多いので草原性の鳥に出会う機会がすくない。
 生徒たちにどうしてもオオジシギを見せてやりたかったので20kmほど離れた峯浜まで出かけることにした。

 約束していたかのように、すぐ姿を見せた。「ジープ ジープ ジープ」という鳴き声に続いてズズズズズゴゴゴゴゴーッと風切り音をたてて急降下してくる。生徒達は唖然としてその急降下に見入り、鳴き声を聴いていた。
 ウグイスがうるさいくらいに鳴いている。ずいぶん近くで鳴くものだと思っているとすぐそばの反対側の樹でも鳴き始めた。僕たちはウグイスのテリトリーの境界に立っていたようだ。双眼鏡で探してみると姿も見えた。
 続いて、ノビタキ、カワラヒワ、ベニマシコも現れる。
 遠くでツツドリが鳴き、カッコウも鳴いている。

 「目をつぶってごらん」と指示して、聞こえる音に集中させ、鳥の声を一つ一つ解説していく。聞いたこともない名前の鳥ばかりが出てきて、最初は戸惑っていたようだが、少しずつ鳴き声と名前が一致していくようだ。

 そんな時の彼らは、一言もおしゃべりをしない。
 高校生といえば、のべつなにがしかの言葉を口から出している生徒も多く、枕詞か呪文のように「ハイ!話をやめて」から授業が始まる場合が多いものだが、この時間に限って、生徒は一言も言葉を発しない。ひたすら耳だけを使っている。
 彼らはきっと、「言葉を発すると自分の耳に入ってくる音が聴き取れない」ということを身をもって学んだことだろう。 
それで良いのだよ。
 無駄な言葉は口から出すものじゃない。
 本当に必要な時に、重々しい一言をパチッと発する人間になるのがいいのさ。
 鳥の声を聴くのは、人生の修行にもなるものだ、と思っているのは教える側ばかりなのだが。

本日の野帳写し
オオジシギ
ウグイス
ノビタキ
カワラヒワ
ベニマシコ
ハシブトガラ
ヤマシギ
オオセグロカモメ
ツツドリs
カッコウs
キジバト
トビ

2012年5月29日火曜日

繁栄の末路

今朝、友人がFacebookに一枚の写真を載せていた。  そこには無残に切り倒されたタラの樹が写っていた。  山菜の中でも珍重されるタラの芽を採るために、切られたのだろう。  タラの樹は棘だらけの細い幹の先端にしか芽を付けない。芽を採る時には、幹をつかんでしならせて採るのだが、ある程度以上の高さに成長したものや棘が痛くてつかめない場合、樹そのものを切り倒して採る人がいる。  天ぷらにすれば、非常に美味しいので、そういう人は食欲に負けたのであろう。  芽を摘み取る時も、そのシーズンの最初の芽を摘み取り、その後から再生していきものは採らないというのが最低限のマナーである。もちろん、切り倒せば、その樹はそれで命を失う。  言語道断という他ない。    無闇な山菜採りには心が痛む。    自然界の物質循環に加わり、自然界にあるものを食べるのであれば、自分の排泄したものや自分の死後の身体は自然界に還すべき、という覚悟くらいほしい。  自然の物質循環の環から外れた生物は、昔から時々現れていたと思う。  だが、そんな種は、結局は絶滅し地球上から姿を消したのだ。  自然の厳しい掟とは、そんなところにも働く。

2012年5月28日月曜日

快晴・濃霧・セイヨウオオマルハナバチ

知床峠を越えてウトロの知床自然センターまで、往復した。
 昨日、訪ねる予定だったが峠の路面が凍結して通行止めになった。
 どうしても行かなければならなかったので、今日は根北峠経由でいく覚悟だったが、幸いなことに午前10時に開通した。

 山頂を越えてウトロ側に下りてみると、青空が出て正しい初夏の気温だった。強い日射しの下、羅臼岳は昨夜降った雪にうっすらと覆われていた。
 初夏の新雪も、景色としては、良い。
 一転して羅臼側は東からの湿った冷たい風が流れ込み、気温3℃で、曇り、峠は濃い霧に包まれていた。

 ところで今日の北海道新聞夕刊にショッキングな記事が載っていた

  外来のセイヨウオオマルハナバチ 知床の高山帯でも確認(05/28 15:00)
 【羅臼、斜里】知床半島の最高峰・羅臼岳(1660メートル)の標高1250メートル付近で、特定外来生物のセイヨウオオマルハナバチが確認されたことが、28日分かった。高山帯で正式に確認されたのは国内2例目。世界自然遺産・知床半島の高山帯で見つかったことで、専門家らは周辺の高山植物など生態系への悪影響が懸念されるとして、危機感を強めている。<北海道新聞5月28日夕刊掲載>

 知床連山の1250メートル付近でセイヨウオオマルハナバチが確認されたという記事だ。この3年間、身体を張って本種の侵入を防いできたという思いがある。それだけに残念なニュースだ。

いまさらながら、まったくコメントを出さない農薬会社、輸入業者(商社)、農協、農水省、農家の無責任な態度に腹が立つ。
 何とか言ってみろ!
 みなで、彼らを包囲し、責任を追及して、防除対策の矢面に立たせねばならない。

 たとえば、これら「セイヨウオオマルハナバチ村」の全員が応分の資金を拠出し、基金を作って、一頭1000円くらいで買い取るなど具体的な方策を講じなければこのハチは駆除できない。
さし当たり、関係者は、この文を読んだら速やかに名乗り出て、謝罪すべきである。

2012年5月27日日曜日

殺生の日

午前中は、羅臼町内でセイヨウオオマルハナバチの防除作業。気温のせいだろうか、セイヨウは一頭も姿を見せず、エゾオオマルハナバチとエゾアカマルハナバチのみだった。

 そして、夕方からエゾシカの有害駆除に参加した。
こちらの方はそれなりの成果があり、「虫も殺さな顔で」シカを殺してしまったことになる。

 殺生を行う日となったが、セイヨウオオマルハナバチもニンゲンの持ち込んだ種で、環境への影響が大きい生物だし、エゾシカもニンゲンの活動によって増えてしまい、森林や農地への被害が甚大な生物だ。
 結局、ニンゲンの活動の後始末をさせられている、ということなのである。

2012年5月26日土曜日

エンレイソウが教えてくれる 日本のアセスメントのインチキ


昨夜は、知床財団の評議員会でウトロに宿泊した。
知床峠のゲートは、昨日まで朝9時の開門だったが、今日から8時に変わった。お陰で朝の知床峠を気持ち良く越えた。
 昨日に続いて根室海峡は雲海の下になっていたが、今朝はウトロ側も厚い霧が低地に淀んでいた。
 羅臼へ急いでいたが、誘惑に負け、少しの間峠の頂上で窓を開け、エンジンを停めた。
 ノゴマ、ウグイス、アオジ、ツツドリの声に混じって、遠くでエゾムシクイやキビタキの声もした。
 羅臼での会議がなかったら、クルマを乗り捨て、峠を歩いて下りただろう。朝の知床峠は、魅力的だ。

 夕方、別海の自宅に戻った。家に入る道ばたのあちこちにオオバナノエンレイソウが咲いていた。
 エンレイソウ属名は「Trillium」という。「3のユリ」という意味だそうだ。萼片、花弁、葉が3枚ずつ、花糸(「かし」おしべのこと)が6本、花柱の断面は三角形で柱頭は3つに分かれている。律儀なことに花粉さえも三角形をしてる。
 とことん「3」の好きな植物である。

 この花は大きな群落を作るが、花が咲くようになるまで15年くらいかかる。種子から発芽し、毎年少しずつ大きな葉を付けるようになっていき、15年目で、初めて花が咲き、その後、毎年花を付けるようになるそうだ。
 つまり、エンレイソウの花が咲いている場所は、少なくとも15年間は掘り返されたりクルマで痛めつけられたりしていない「手つかず」の状態が続いたと証明されている。
 また、エンレイソウ群落の年齢構成を調べるとその場所の環境変化を知ることができる。
たとえばエンレイソウの花はたくさん咲いているが、若齢のエンレイソウが少ないような土地は、その群落が将来失われる危険性があることを示している。

 だが、世の中の環境アセスメント会社は、「現在の植生」の調査しかしないから、その群落の将来がどうなるかをアセスメントの対象にしない。アセスメントを発注する側もそこまでは求めていない。
 日本のアセスメントは、このような事例ばかりで、抜け穴だらけなのである。
 環境省も、瓦礫の広域処理に固執しているより、失われる身近な自然を保全するためにもっと真剣な姿勢を示してはどうなのだろう。

2012年5月25日金曜日

去年の予感に羅臼岳がささやく

昨年、福島での原発事故が起こってから、ずっと原子力や原子力発電について書き続けていた。自分にとっても、あの衝撃がいかに大きかったか、あらためてわかる。  昨年の今頃、ボンヤリと予感したことがあった。  他の原発の再稼働のことだ。  きっと、賛否両論が派手にぶつかり合い、現場の状況とか現地の実情などを蚊帳の外に放りだしたような論議が続けられるな、と思った。  そして、多くの国民が事故を過去のものとし、報道機関も取り上げなくなった頃、こっそりと原発再稼働が始まるという図式だ。  もちろんそれに反対する人々は、反対の意思表示をし、運動を展開するだろうが、結局は「国家の意思」に押し切られるのではないか、という敗北主義的な予感でもあった。  良識を押しつぶして一部の利権を確保する、「多数」の傲慢がいつも押し通っていたこの国の過去を見ると、暗い感情を伴ってそのような悲観的シナリオを予想をした。  現実は、その通りになっている。この国の利権に群がる人々の執念は、倒しても切っても抜いても焼いてもしぶとく生えてくるアメリカオニアザミのように絶やすことができない。  リゾート開発ブームの時もそうだった。  ダムもそうだった。  鉄道の廃止もそうだった。  基地も干潟の干拓も、あれもこれも何もかも・・・・。  この国の欲の皮の突っ張った、「あの連中」は、反対意見にきちんと向き合うということをしない。最初に建てた結論を強引に押しつけることしか知らない。  そういう態度や行動を「ご理解頂く」と言うらしい。  子どもたちに幸せな未来を残す、きれいな環境を持続させる、というきわめてシンプルな価値観を共有できない人々を一掃しない限り、世の中は良くならないと思った。  今日は、会議があるので峠を越えてウトロまで来た。羅臼岳が黙ってニンゲン界を見下ろしていた。  頂上直下を通る時、山が微かに囁いたようだった。 「なあに、そんなに長いことじゃないさ。700年くらい前の噴火なんて、つい昨日の出来事みたいなものだ。自然を甘く見ている連中が、悔い改める時は近いさ」  ゾクリとした。