2009年1月31日土曜日
АРКТИКА(アルクティカ)号復活
昨年12月27日、斜里町オシンコシン付近で航行不能に陥ったわがАРКТИКА号(ランドローバー110 車齢15年 走行距離32万キロ)が本日やっと復活した。修理に一ヶ月以上も要した原因はただ一つ。 部品の到着が遅れたから。 知床財団のY中事務局長は、 「だから外国車は、困るんだよナ。カッコつけて乗っているから、そんな目に遭うだ」とさんざんからかわれた。しかし、彼のお世話で、斜里町内の修理工場を紹介してもらった。そこには、腕の良い技術者がいて、完璧に修理してくれた。ありがたいことである。 折しも土曜日だ。昨日に続いて根北峠を越えて引き取りにでかけた。 工場の駐車場で、АРКТИКАは、静かに待っていてくれた。静かだったのはその時までで、動き出すと車内は、建設機械のような轟音が満ちあふれてしまうのは、いつも通りだったが。その一瞬だけは、代車として借りた、ホンダ「トルネオ」と離れがたい思いがしたけれど。 いま、道東には低気圧が近づき、明日の知床は荒れ気味だ、という予報が出されている。何はともあれ、АРКТИКАが帰ってきて嬉しい。
2009年1月30日金曜日
月を見守る一つ星
2009年1月29日木曜日
恐るべきナマズ
実は、東京の「伊せ喜」で「どぜう丸鍋」を食べた時、同時に「なまず鍋」も食べたのだ。昨年まで羅臼ビジターセンターで働いていたYさんが横浜の実家に帰っていて、今回「ジンガロ」鑑賞に同行してくれたので、そのついでに「伊せ喜」にも付き合ってくれた。そこで、ドジョウとナマズをそれぞれ一人前ずつ注文し、両方味わうことができた、と言うわけである。
このナマズが、ドジョウに勝とも劣らない美味しいものだった。
まず、鍋はすき焼き風の味付け。甘辛い醤油の味でやや濃い目の味。ナマズの身は大きめに切られていて、胃や肝臓、卵巣とおぼしき内臓も含まれている。野菜とともにサッと煮て生卵に浸けて食べる。
ナマズは子どもの頃、たまに川で捕れた。ドジョウやフナなどを捕まえるために川底を網でかき回すのだが、ごく稀にナマズが入ってくる。子どものことだから、獲物の珍しさに応じてランクをつけて分類していた。ナマズは、間違いなくかなり「上位」の方である。もちろん、この「ランク」は僕の育った函館近郊に限ったことであろうけれど。
そんなナマズが、よそ行きの表情?でお皿に載っていた。もちろん変わり果てた姿で。
煮えて、味が染みこんだ頃合いに箸でつまみ上げ、卵を絡ませて口に運んだ。コリコリとしているが柔らかい。第一印象は「フワッとした食感」だった。カジカに似ていないこともないが、身全体が柔らかいという点で、大きく違っているとも感じた。正直なところカジカのよりも美味しく、すき焼き風の味付けに良く合っている。
食べたのがナマズだっただけにじしんが付いたように感じた、体験でありました。
2009年1月28日水曜日
社会復帰の日
旅から戻ってくると、いつも「社会復帰」に苦労する。特に海外から帰ってきたときは甚だしいのだが、今回も旅がゆったりとした日程で、割に好きなことし放題の旅だったので、社会的馴化にやや苦労した。
おまけに、昨夜、敬愛するアーティストの奈良裕之さんに釧路で出会い、演奏を聴いたりしたのでますます、ハードルは高かった。
しかし、まあ、頑張った、と自分では評価しておこう。
温泉に入って早寝する。
2009年1月27日火曜日
葛西水族館
26日、夕方の便で帰ってきたので出発までの間、葛西臨海公園水族館に行った。博物館や美術館は、月曜日が休館になっている施設が多い。水族館は水曜日が休みというところが多い。洒落だろうか?と思ったら動物園も水曜休園が多かった。
そんなことはともかく、快晴の空が広がる月曜日、JR京葉線に乗って水族館に来てみた。
この水族館には、マグロの回遊水槽があってクロマグロやキハダが高速で泳ぎ回っている。マグロは低速で泳ぐ時、胸びれを水平に伸ばして浮力を生じさせ安定させているが、高速で泳ぐ時は体に密着させるのだという。胸びれの付け根にはひれを収納する窪みがあって、ひれを体に密着させると体表面の突起がなくなり、高速での遊泳に適した状態になるのだそうだ。マグロが急旋回する時には普段、折りたたんでいる第一背びれが伸びて、安定を助けていることなどがわかった。
考えていみると、マグロが泳いでいるところを見たのは初めてだった。今まで食材としてしか見ていなかったマグロの生物としての面白さに初めて触れた一日だった。
気軽に立ち寄った葛西水族館だったけれど、思いがけず多くを学ぶことができた。
愛の無常
愛の無常について、このごろよく考える。 自分は、いろいろな人に愛されている、と思う。 例えば、突然友人に電話して、「今日、会いたい」と言う。すぐに返事が返ってきて、落ち合う場所と時刻、初めて訪ねる場所であればそこに関する詳しい情報を知らせてくれる。行ってみると、自分の予定を投げ出して、僕のためにいろいろと気遣いをしてくれる。「ああ、この人から僕は愛されている」と感じる。 数ヶ月会っていなかった友達を食事に誘う。二つ返事で出てきてくれて、共に食事をし、話に花を咲かせる。こんないい友人は、他にないな、と感じる瞬間が幾度もある。この時に介在するのも一種の愛だろう。 旅を終えて、帰ってくる。 「お帰りなさい。お疲れ様」という声が集まってくる。何気ない、そんな言葉にも愛を感じる。夫婦間や男女間の愛だけではなく、人と人を結びつける糊みたいなものが愛かも知れない、と思う。 しかし、人の心は移りゆき、愛は無常なものなのだろうか。 そうであるように思うし、そうであって欲しくない、とも思う。何十年生きていても、こればかりはわからない。
2009年1月26日月曜日
どぜう恐るべし
実は、昨日、「ジンガロ」を観てからドジョウを食べた。友人から紹介してもらった「どぜう屋さん」がジンガロの会場近くにあった。
高校生の頃、自分で捕まえたドジョウを食べてみた経験はある。その時は、ただ骨がうるさく、味も泥臭いようなカビ臭いようなもので美味しいとは感じなかった。しかし、東京には「どぜう」と書かれた看板を挙げている店が結構ある。一度、そういう店で「正式な」どぜう鍋というものを食べてみたかったのだ。良い機会だと思った。
店は、深川。小名木川にかかる高橋(たかばし)近くにある「伊せ喜」という。いかにも老舗らしい構えで、ちょっと敷居が高い感じだった。友人の推薦がなかったら若干尻込みしたからも知れない。
いろいろなメニューがあったが迷わず「どぜう丸鍋」というのを注文した。
小さな円形の浅い鉄鍋に10cm足らずの小さめのドジョウがびっしりと並んでいる。火にかけて割り下を注ぎ足しながらじっくりと煮込む。他に入れるのはネギだけ。柳川ではないのでゴボウなどは入れないらしい。
どぜうには日本酒だな、と考えて冷酒を注文した。島根のお酒その名も「どじょう舞」無農薬有機米100パーセントを原料に作られた酒で、ぴりっと引き締まった味でスッキリした飲み口。それでいて芳醇。(なんだかどこかで聞いたような表現だなあ)「日置桜」に似た味わいの美味しいお酒だった。
そして、店員さんがはじめに持ってきた僕のグラスにヒビが入っていた。そのことを言ってグラスを交換してくれるよう頼んだ。すると、なんと「どじょう舞」1本(360ml)をサービスしてくれるではないか!
さすが老舗。(どこが「さすが」なんだろう)これで、「軽く一杯」のつもりが「二杯」になり、そのまま飲み逃げでは失礼だから3本目を頼まざるをえなくなった。う~んありがたい。(何が「ありがたい」んだろう?)
肝心のドジョウ。臨席の上品なおばさまはかなりの「どぜう通」の様子だったので、丸鍋の食べ頃というのを教えてもらった。身が丸くなり始めた頃が良いらしい。煮上がってきたので一匹を口に入れてみる。柔らかく、香ばしく、甘く、骨はサクサクとしている。舌の上でとろけるような食感。素晴らしい。
親しい友人の栄養士が以前に情報をくれていた。ドジョウの栄養成分。ビタミンE、
カルシウムはサケの78倍、鉄は11倍、リン、レチノール(眼に良い)、などなど。大変な栄養食品らしい。
味といい、酒との相性といい、最高の食事を楽しむことができた一夜でありました。
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