2009年3月20日金曜日

都会のナゾ


 東京に着いて、まず、モノレールに乗った。窓際で若い男性がハンカチを握りしめ、涙を流していた。辛い別れの直後で、人目もはばからず泣いているだろう。気の毒に、と思った。できるだけ見ないように心がけたが、気になって時々見てしまう。するとどうも様子がおかしい。哀しみにくれている割にはイヤフォーンをかけて音楽を聴いているし、よく見ると表情もそれほど悲しそうでもない。
 ン、なーんだ。花粉症か!
 
 気が付いてみると車内にはカラス天狗のようなマスクを着けたひとが大勢いる。その後、窓際で涙を流している若い男女も何人か目撃した。くしゃみ二十連発の人にも会った。
 今や、これが日本の首都における春の風物詩なのだなあ。なんか違和感がある。何かがおかしい。罹患している人々には、心から同情を感じるのだけれど、どうしてこんなことになってしまったんだろう、と考え込んでしまう。
 スギの花粉が増えた、という事実もあるかもしれないが、原因は単純ではないのだろうなあ、という気がする。

オーガニックな日




 渋谷表参道にある「クレヨンハウス」という所に行った。
 1Fが世界の絵本と子どもの本50000冊という本売り場
 2Fはクーヨンマーケットという木のおもちゃ中心の売り場
 3Fは女性の本やオーガニック化粧品などが売られている。
 そして、地下は自然食レストランと自然食の八百屋「野菜市場」になっている。

 自然食レストランでは、ランチタイムで一人1260円で野菜中心のおかずや玄米、胚芽米のご飯が食べ放題。味噌汁飲み放題。有機栽培製品=風の谷のビール ピルスナーは別料金。
 お昼に食生活安全的ランチプラス飲酒安全的ビールを飲めるシアワセというものを玄米ご飯とともに噛みしめた。食事に来ている人たちは子ども連れのお母さんたちが多く、ほのぼのとした空気が漂う空間だった。
 ふと、この人々のお父さんたちは、今頃吉野屋の牛丼380円なんかをかき込んで、一生懸命働いているのだろうなあ、などと想像しつつお昼のひとときを楽しむ。

 その後、明治神宮まで歩いて境内を(「境内」と呼ぶにはあまりにひろいけれども)ちょっと散策した。クスノキの緑と梢を渡る風が美しい。まるで五月の東京のようである。
上着もも脱いで歩いた。

 羽田は連休前ということもあるのか、やや混雑していた。

 慌ただしい中での旅であったけれど、十分に楽しむことができた。
 ああ、よかった。

2009年3月18日水曜日

走馬燈

 「走馬燈」とは、よく言ったものだ、と思う。
 今日は、人生についてしみじみと考えさせられた一日だった。

 月並みだが生・老・病・死と喜・歓・慶・悦が渾然となって流れていくのだなあ。
 都会の人の波を、たくさんの人生を乗せた電車の疾走をみていると、しみじみと考えてしまう。

2009年3月17日火曜日

旅について

 慌ただしく東京へ。
 残り少ない教員生活を敢えてさらに少なくすることもない、と思うのだが。
 だが、旅はいつも心を浮き立たせてくれる。
 昔の旅はもっと苦しく、危険も多かったのだろう。
 今では、安全で快適な「旅行」になった。けれども、そのために失われたものがあるのではないか。長距離を何日もかけて移動していた時代には、出発直前までせかせかと仕事をしている、などということはなかったのだろう。カッチリとしたスケジュールを立て、予定が一日狂っただけで大騒ぎするようなこともなかったのだろう。
 「旅だからしかたがない」という一言で片付けられていたのではあるまいか。

 昔と現代、はたしてどちらがいいのか。

2009年3月16日月曜日

最後の授業



  物事には必ず「始まり」と「終わり」はあるのだから、とりたてて特別である必要はない、と思いつつ最後の授業に臨んだ。
 もっともらしい説教をするのは僕には似合わない。実物で教える、という希望を貫いてエゾシカの生の腎臓を持ち込んで観察させた。すると、思っていたよりもずっと生徒たちは感激し喜んでくれた。
 良い生徒たちに恵まれた、とつくづく感じた。ありがたいことである。
 かくして僕の教員生活は幕を閉じるのだ。幸せである。

2009年3月15日日曜日

僕とラ・マンチャの男

 「ラ・マンチャの男」と初めて出会ったのは高校3年の今頃、道南の大沼に家の自室でのことだった。受検した大学がすべて不合格となり、鬱々としていたある日曜日のことだったと思う。FM放送の番組で、ブロードウェイのミュージカルを紹介していた。社会経験の乏しい未熟な僕にとって、その意味の深さを完全に理解することはできなかった。だが、直感的に強く惹かれるものがどこかにあった。
 それ以来、ドン・キホーテあるいはセルバンテスは、常に気にかかる存在として僕の心に住みついた、と言うことができる。

 劇中のシーンの一つ。
 それまで地下牢でドン・キホーテを演じていたセルバンテスが、幕間に本人に戻った時のやりとり。セルバンテスに反感を抱く「公爵」と呼ばれる囚人との間で交わされる会話だ。

公爵    「詩人は無意味な言葉で現実を曇らせる。」
セルバンテス「その通り!現実とは人の心を押し込める石牢だ。
       詩人は想像力で夢を見つけ出すのだ。」
公爵    「キミの罪状は理想家でつまらぬ詩人で正直であること。」
セルバンテス「確かに罪状の通り。理想家だ。だが夢想家ではない。つまらぬ詩人。返す       言葉もない。」
公爵    「現実と夢とは違う ここの囚人と君の妄想の騎士とはな。」
セルバンテス「彼らの夢こそ現実的だ。」
公爵    「夢は夢だ。なぜ、詩人は異常者が好きだ?」
セルバンテス「似てるのだ。」
公爵    「人生に背を向けてる。」
セルバンテス「人生を選ぶのだ。」
公爵    「ありのままを受け入れろ。」
セルバンテス「人生をか。
       40年以上人生を見てきた。
       苦悩、悲惨、残酷さ、神の作った子たちの声は道ばたにあふれるうめき声       だ。
       兵士も奴隷も経験した。ある者は闘いで、ある者はムチ打たれて死んだ。
       彼らは人生をただ受け入れてきた。そして死んだ。栄誉も立派な遺言もな       く。ただ当惑して『なぜ』と問いながら死んだ。
       『なぜ死ぬのか』ではなく『なぜこんな人生を』と問いながら。
       人生の中で異常とはなんだ。
       現実的すぎること、夢を持たぬこと。ゴミの中の宝探し、正気を通すこと
       一番の異常は人生をそのまま受け入れることだ。」

2009年3月14日土曜日

雨の土曜日に

 日本海に強い低気圧。黒鶏舎が水浸しで応急修理をする。
 低気圧は強まりながらオホーツク海へと向かっている。午後3時。気圧は980hPに近づいている。風は弱くなってきたが雨が強まっている。前線が近づいているのだろう。

 否応なく「最後の授業」が近づいて来る。生物教師として迎える最後の授業は、何かもっともらしいことをしゃべるのではなく、実験を行って終わりたい、と考えている。そこでハンターさんたちにエゾシカの腎臓を少し分けてもらえるように頼もうと思っている。腎臓に墨汁を流し込んで血液や尿の流れを実際に観察するのだ。
 ところがこの天候で、明日のエゾシカ密度調整が実施できるかどうかわからない。そのような場合に備えて講義の準備もしておかなければならない。

 講義は、シェーンハイマーのことを話そうかと考えている。
 1938年、ルドルフ・シェーンハイマーは、「生命活動は原子の緩やかな流れと淀みである」ということを安定同位体を使って証明してみせた。つまり、生物体を構成している物質は、休むことなく体外から取り入れられる新たな原子と入れ替わっていて、例えば僕の鼻の頭の皮を作っている原子は、昨日と今日では異なっている、ということだ。同じタンパク質の同じ「炭素」という原子だから、普通は区別できないが、シェーンハイマーは区別できる原子を使うことでこれを証明してみせたのだ。
 このことは、普通の新陳代謝とは別のことで、先祖伝来で身体の奥深くに厳重に保管されている遺伝子(DNA)でさえ、この「原子の入れ替わり」が起きているというのだ。  これで、「食」にこだわり、「食」を考えている人々たちの主張は正しいとわかった。なにしろ体外から取り入れられる原子はほとんどが食物に由来しているのだから。シェーンハイマーは、今まで何となく食べること、食べる物と生命現象との関係の大切さを感じてきた人々に、力強い科学的根拠を提供したのである。70年も前の研究に現代の科学がひれ伏している、と言ったら言い過ぎだろうか。
  「生命現象は物質(原子)の緩やかな流れと淀みである」という考え方は、いろいろなことを連想させる。「生きている」ということをわれわれは、普通、直感的に意識する。どんなに精巧に作られたロボットでも、一見して生物ではない、と判断できるだろう。まあ、中には曖昧なものもあるかも知れないが。

確かに、生物を個体→細胞→分子→原子とどんどん小さな単位に細分化していくと「現象」としての生命が見えなくなってしまうような気がしていた。もちろん、生命を「神秘的」という古い容器に戻して閉じこめようとは思わない。けれども、一つの機械のようにみなし、部品交換や燃料補給だけで生き続けさせることのできるものでもない、ということもわかってきたのではないだろうか。
 言い古されているけれど、やっぱり生命は機械ではないのだ。