2009年3月28日土曜日

最近の鳥便り

 昨日3月27日の分  26日、羅臼でハクセキレイ初認。  3月17日、釧路湿原でアオサギ初認。本日も釧路川でアオサギを観察。根釧原野にヒシクイが帰ってきている。ワタリガラスはいつの間にか姿を消した。

2009年3月26日木曜日

落語とジャズ




 明日、早朝から精密検査があるので釧路泊。
 夜は、一切の飲食禁止ということで、ジャズ喫茶「ジスイズ」で少し過ごした。カウンターにあったネコたちのバンドが魅力的だった。マスターが落語好き、ということもわかった。同じ題の噺でもその場に合わせて即興的に語るところがジャズと似ているのだ、とおっしゃっていた。深く感心した。たしかにその通りだ。授業もまた同じだ。
 人生、いつ勉強ができるか油断がならないものだ。
 そう言えば、先日、浅草演芸ホールで聴いた桂米丸さんの噺も落語というより、一人の芸人の半生記と芸についての考え方「落語観」のようなものが含まれていて、講演のようだった。単なる落とし噺ではなく、深い思想が基底に観じれて、聴いて良かった、と思った。

今夜も

 今日も送別会。
 今日は、教務部の。
 連日の送別会。
 
 もう、いい。

2009年3月25日水曜日

離任式とモバイルと

離任式であった。
 三十数年働いた。しかし、「やり終えた」という満足感より、解放感の方が大きい。学校をめぐる状況が息苦しく先行きが暗く感じるからだろう。沈みゆく船から自分だけ先に脱出できたような感じだ。

 札幌でモバイル端末なるものを買った。職場にもインターネット環境はあるのだが、道立高校は「スクールネット」という一括管理されたネットワークに入っている。しかし、スクールネットはやたらに規制が厳しく、一般の掲示板やブログにも繋がらない。そのために、教材研究などで興味深い情報を見つけても「規制」という画面が立ちはだかって、悔しい思いをしたことが何度も何度もあった。

 未成年者の生徒もわれわれ教師も十把一からげにして管理しようという怠慢な管理主義者のために、現場の我々が苦労させられているのである。
 だからモバイル端末が必要だ、とずっと思っていた。

 これで、どこにいても(携帯電話の圏内であれば)インターネットが使えるようになった。めでたしめでたし。

2009年3月23日月曜日

HR通信への寄稿

「お別れに何か書いて下さい」副担任をしているクラスの担任からそう言われた。案外いざとなると何をどう書いたらいいのかわからなくなるものだ。 だから、あまり、あらたまったことはしたくなかった。 だが、やはりあの生徒たちに何か書き残してやりたい、というスケベ心が出て次のように書いた。   365日の2年B組  風が吹いている。山全体を揺さぶるような風。  「風の又三郎」が山の小さな小学校に転校してきた日も、転校して去った日も台風のような強い風が吹いていた。風は旅する人を招き寄せ、また旅立たせる力を持っているのだろうか。風は、出会いと別れを作り出すのかも知れない。    今年、2年B組の副担任にさせていただいて、実に気持ちの良い一年間を送らせてもらった、と思っている。もう、ヨレヨレでロクにクラスに関する仕事もしていない僕をみなは「副担任」として行事の時などに仲間に入れてくれた。学校祭のクラス旗やクラス写真に担任のY先生と並んで登場させてくれたりしてもらったことは、とても嬉しく、心浮きたつことだった。これが、僕を勇気づけ、環境について学びたいという高校生が全国から羅臼高校に集まって来るような学校にしたい、という夢に力を与えてくれた。このことは、この先もずっと僕の記憶に深く刻まれて残ることだと思う。  そのため、来年も引き続いてみなと同じクラスに残り、卒業を見守りたい、という気持ちがふとした時に心に浮かんでくる。心が揺れるのである。知床の風は、そんな僕の迷いを吹き消すかのように、激しく激しく吹いてくる。時は、すでに満ちているのだ。  いつまでも元気で。健康で。  いつかまた、他日。           (3月23日夕方 風の音を聞きながら)

2009年3月22日日曜日

札幌で

 午後から天候悪化とのことで、早々に帰路に就きたいが、少々の買い物もあり出発は昼前後になるだろう。やむを得ない。
 あさ、魂込め(まぶいごめ)…目取真俊(めとりましゅん)を読む。

 公立高校の合格者発表も終わり、街には「○○高校全員合格」などと誇らしげ書かれた塾の看板をよく見る。こうやって新年度の生徒を募集しているのだろう。
 塾の講師陣を派手に宣伝している所も少なくない。「××大学卒業」と名の通った国立大学、いわゆる偏差値の高い大学の卒業者が講師として誇らしげに紹介されている。だが、どうしてもこの手のコマーシャルに違和感を感じる。

 大学に入るのは何のためだろう。それは、学問に打ち込み真理を探究するためではないのだろうか。高い収入をえるとか立身出世が目的なのだろうか。確かに結果としてこのような現実があることは理解できるし、妥当な面もあると思う。
 だが、断じて学問は自己実現への手段であって目的ではない。どのような自己実現を求めるかは、一人一人のモラリティや品性、品格に属する問題だとしても、高校や大学に入ることを自己目的化してしまうこと、公然とそれをうたいあげ、全く恥じない態度に違和感を感じるのだ。
 一流の大学に合格し、一流の学者から学問を学んだ人たちがこうした塾の講師として堂々と紹介されている現実は、どこかおかしいと思うのだが。

2009年3月21日土曜日

父の入院

 秋葉原で買ったカバー付きスイッチは快調だ。これでАРКТИКАの電気系統は一応の安定をみることができた。

 父の見舞いに病院へ行った。先週始め、自宅で倒れたという。言語が不明瞭になり右半身が麻痺していたらしい。検査の結果、左側頭部の硬膜下血腫ということだった。頭骨に穴を開け、血腫を取り除くことで普段の父に戻った。一昔前なら「脳梗塞」などと診断され、そのまま寝たきりの生活をさせられていたかもしれない。
 高齢となり、運動能力が低下したり言語が不自由になっても、その原因は様々であることをあらためて知らされた。そして、現代の医学の力にも驚嘆させられたできごとだった。