2009年8月17日月曜日

知床岬行(4)




8月1日(土)
 「たいちょう」自らが操船する19トンの漁船は静かな海を岬を目指して進む。舳先に立って海面を眺め回したがイルカの姿や噴気も見えない。時折フルマカモメ、ウトウ、ウミウが通り過ぎるだけだ。
 やがて、岬の岩礁を大きく迂回し、半島の西側(斜里町側)へと回り込む。羅臼海域をテリトリーにしている「たいちょう」は、海底地形を注意深く探りながら慎重に岬の避難港である文吉湾に船を入港させた。
 上陸後、さっそく啓吉湾まで徒歩で移動。干潮の時間帯だったので岬の台地に登ることをせず、磯づたいに移動することにする。「啓吉湾で泳ぐ」というのは探検隊の定例行事だったようで、スタッフの大人たちも子どもたちも、同じように海水浴を楽しんでいた。とは言えここは知床岬である。万一の場合に備えて僕は動くことができない。夏の太陽が照りつける浜で、皆が海で遊ぶ様子を見守っているしかなかった。けれども、この時間は決して退屈で無意味ではなかった。岬の空気を呼吸し、岬の空を見上げ、岬の風に吹かれる幸福なひと時だったことに違いはない。

 知床半島の西側は夕陽が美しい。夕食後、海岸まで出てみる。オホーツク海に沈む夕陽とその残照が美しかった。しばらくの間、あの太陽は、今頃ウルムチの街をも照らしているのだろう、などと取り留めのない思いに耽った。

 夜は船のデッキで寝ることになった。ふと思い立って長い竿で海水をかき混ぜてみる。予想通り、水中で青白い光が生じる。それは竿の先を追うようについてくる。夜光虫だ。見上げると空には星。

 風も弱く、かすかに揺れる船上の寝心地は最高だ。夜半、眠りが浅くなった時に何度か目を開けてみた。暗闇に慣れきった網膜に、これまで一度も見たことのないような星空が映った。星が明るすぎて、星座がわからないくらいだ。今になって思い返すと、あれはペガサスの四角形だったと思う。ということはその時刻は明け方近くだろう。
 知床岬の船の上で寝ながら見た星たち。一生忘れられない夜になった。 

2009年8月16日日曜日

知床岬行(3)

 夕方、バイクのオイル交換。

  知床岬(3)
 二日目、岬への出発が延期されたので、班別活動を行った。僕は3班に付き合ってビーチコーミングと磯遊びに付いて歩いた。海岸にはいたる所で漂着物が見つかるが、この日の最大の収穫は、中国製または台湾製と思われるミネラルウォーターの空きボトルとハングル文字の書かれている魚箱の破片だった。
 海岸がほとんどコンクリートの護岸で覆われている羅臼町の子どもたちは、漂着物を集めて観察するビーチコーミングの体験が乏しいようで、これらの発見に大喜びしてくれた。

 その夜のミーティングで、翌日、船で岬に向かうことが決定された。

2009年8月15日土曜日

スクイズ好きの国民性

 不思議なことがある。
 「敗戦」と言わず「終戦」という。
 「戦死者」と言わず「戦没者」という。
 言葉を弄び、新しい言葉を作り出すことで本質を曖昧にする。

 日本人は野球が好きだ。野球にはスクイズという手段がある。三塁にランナーがいる時、内野にゴロを転がし、野手がそれに対応している間に三塁ランナーがホームインして得点する。もちろんこれはルールに則った正当な攻撃法で、このこと自体が悪いわけがない。しかし、投手が剛球を投げ強打者が打ち返して得点するという正統?なプレイに比べるとなんとなくウラをかいて得点するように思えてならない。

 野球なら変化に富んだ攻撃法の一つとして面白さが増すスクイズであるが、言葉を弄んで言い方を変えることで本質のウラをかいて隠蔽するような態度や思考法には辟易する。そんなことが多すぎるのだ。「終戦」の日の今日、戦争をまるで自然災害ででもあったかのように表現したりする姿が目立つようで気になる。
 世論も「二度と戦争はするべきでない」とか「平和が大切だ」とか言いながら選挙をすれば憲法九条を変えようとする政治家や政党が大量得票をする。その場だけの気分で、無責任で実の伴わない言葉を弄しているからこのような国になってしまっているのだろうか。

 環境問題についても全く同じようなことが言える。たとえば、「ヤシ実の油から作った洗剤だから安全」などと言っていても、ヤシの畑を広げるために熱帯雨林伐採していることをどれだけの人が知っているのだろう。

 言葉を弄ぶのは、いい加減にするべきだろう。

2009年8月14日金曜日

明日は羅臼湖

 台風8号崩れの低気圧が通過して、昨夜から雨が降った。けっこう強い雨であった。来客があったので、家の中の模様替えと掃除がはかどった。羅臼の家も本別海の家も両方ともにだ。
 明日、羅臼湖へ行く予定なのだがかなりぬかるんでいることが予想される。天候は回復傾向にあるようだが。

2009年8月13日木曜日

知床岬行(2)

 モイルスに到着してテントを張り、ベースキャンプとしての様々な施設を設置する。予定より早い到着だったので、余裕をもって作業できた。同時に、出発前から気がかりだったことがだんだん現実味を帯びてきた。それは、ヒグマの問題だった。実は、出発前に岬近くに人慣れしていて、轟音玉(野生動物撃退用の大音響を発する煙火)や花火弾で追い払おうとしても逃げない個体がいるという情報を得ていた。知床は、世界屈指のヒグマ高密度生息域であるから、「出没する」と言うのは少しおかしい。もともと「そこに居る」のであるから。
 ヒグマは北海道で長い間アイヌ民族と共生してきた。アイヌは森に入る前に、神への祈りを捧げることで、ニンゲンが近づくことをあらかじめヒグマに知らせる。ヒグマもニンゲンが近づくとさりげなく立ち去ったり隠れたりして無用の接触を避けていた。こうして普通は一定の秩序が保たれていた。このような関係は、知床でも最近まで続いていた。だが、近年、この均衡が破れつつある。そして、今年になって、このような銃声を恐れないクマが急増した。どうしてこのような問題個体が出現したのだろう。その理由は、まだハッキリと解明されていないが、ニンゲンの側からクマへ、何らかの過剰な働きかけがあり、クマが人の活動について学習してしまった結果ではないのかと言われている。例えば知床岬地区への人の出入りは、このところ急増していると言われる。その結果、人と接触した経験が豊富な個体が増加しても不思議ではない。今までは、母グマと別れて一本立ちした直後の個体にこのような傾向が見られる例が多かった。それが最近、成獣の雄にもそのような性格の個体が増えてきているらしい。僕たちが到着する前からモイルスでキャンプしていた登山者も岬方面でそのクマと遭って引き返してきたという話だった。
 岬へ向かう「チャレンジ隊」は翌朝出発する計画だった。しかし、その夜、スタッフのミーティングで、出発の中止が決定された。小中学生を連れて行動するのだから状況判断が慎重になることは仕方がないことだろう。危険な場所を苦労して海岸線を行き、岬に到達することで達成感や成就感が得られるわけだが、一頭のクマのために全体の計画が狂ってしまうのだ。やむを得ないことではあるが、あらためて「クマの威力」の大きさを思い知らされた。

2009年8月9日日曜日

ホエールウォッチング




 久しぶりにホエールウォッチングに出かけた。根室海峡は風弱く、波も穏やかで暖かな航海だった。
アジサシが来ていた。船長によれば今季初認とのことだった。
リスト
  鳥類:アジサシ
   オオセグロカモメ
   フルマカモメ
   トウゾクカモメ
   ウトウ
   アカアシミズナギドリ
   ハイイロミズナギドリ
   ウミウ
 
 ほ乳類:イシイルカ
  ツチクジラ
※マッコウクジラの鳴音は無し
     (半径10km程度;ハイドロフォンによる確認)

2009年8月8日土曜日

知床岬行(1)

 出発の朝は雨だった。強い雨の中を次々と参加者が集まって来る。大ホール出発式を行った後、皆、バスに乗り込んで出発点の相泊(あいどまり)へと向かう。相泊に着く頃、雨は止んでいた。
 「海岸線を歩く」というと波打ち際を淡々と歩き続けるような印象を持つかも知れないが実際は違う。第一日目の行程は、相泊からモイルス(モイレウシ川河口)までだ。距離は約8km。カモイウンベ→崩れ浜→観音岩→化石浜→でばり→タケノコ岩の順に通過していく。カモイウンベまでは、昆布採りの番屋が立ち並び電気も来ている。漁業者が陸路も利用するので石浜ではあるが、比較的平坦で歩きやすい。崩れ浜に近づくにしたがって大きな石が混じり始め、歩行のリズムが乱される。この傾向は進むにつれて大きくなる。それでも、観音岩までは、普通の浜歩きである。
 海岸は、観音岩で行き止まりとなる。進むためには海岸線より少し山側にある岩の鞍部を超えなければならない。浅いチムニーがルートになっている。岩を登ると鞍部はちょっとした広場だ。小さな観音像が岩のあちこちに安置されている。沖縄にもこんな場所があったなあ。子どもたちの安全を考えてこの場所はザイルを使って一人ずつ登る。全員が通過するのに一時間以上を要した。 
観音岩を過ぎると道は、少しの間、低い海岸段丘上の森の中を進む。やがて海岸に出ると化石浜である。ここは、崩れ浜よりも一層歩き難い不揃いな岩から成っている。この石浜が尽きると「でばり」と呼ばれる海食台の上を進む。ここは、満潮の時や時化の時には通行できなるのだという。でばりを過ぎると大きな火山岩屑のかたまりが崩落して散らばり迷路のようになっている海岸を進む。この岩屑は、知床岳の火山活動によるもので、ガラス質の 大きな晶が鋭く突出していて体のあちこちが傷つけられる。僕もここでズボンのお尻に大きなかぎ裂きを作ってしまった。
 そして、道はタケノコ岩で行き止まる。タケノコ岩もザイルを使って、ちょっとした鞍部を乗り越えた。小一時間かかった。
 タケノコ岩の上に立つと眼前にモイルス湾が広がる。ふと千島列島のウシシル島の景色を連想した。ここにベースキャンプを設ける。