2012年1月14日土曜日

格付け会社の格付け会社の格付け会社の・・・

550人くらいの入学生がある高校だった。
 その中で17番という順位で入学した。

 僕はそれほどでもなかったが、母は、とても喜んでいた。
 好事魔多し。

 高校二年の二学期。成績はトコトン下降した。
 来る日も来る日も虫採りに明け暮れていたからだろうか。
 まあ、今となっては原因は、よくわからぬ。

 ついに学年250番まで下落した。
 3学期には数学ⅡBが赤点で、追試験を受け、ようよう進級した。

 劣等生になってから、そのエクスキュースも含めて、「順位」というものに根深い不信感を持つようになった。物事を順位だけで評価することへの反発も強く持つようになった。
 それは、今も変わらずに続いている。


 巷では今日、格付け会社がヨーロッパの国債の評価を一斉にランクダウンしたと、と盛んに報じられていた。
 なんのことだかよくわからないが、この「格付け会社」というヤツが大嫌いだ。
 銀行でも、債権でも、なんでも格付けして自分たちの利益を上げているなんて、火事場泥棒みたいなヤツだと思う。

 しかも、いろいろな人々の思惑があって、その格付けも恣意的に行われる場合もあるらしい。

 そんなものの「評価」なんてほとんど価値がないではないか。
 そんなものは、皆で無視すべきだ。

 もし、それが出来ないのなら、格付け会社を格付けする「格付け会社格付け会社」を作ったらどうだろう?

 そして、「格付け会社格付け会社」が増えてきたら、その会社を格付けすればいい。
 そう!「格付け会社格付け会社格付け会社」を作ればいいのだ。

 まあ、そうやってどこまでも好きに遊んでいればいいのだ。

 その間に、僕らは自分の手で食べものを作り、足を大地につけて暮らす方策を考えていくさ。

2012年1月13日金曜日

寒さはいつまで続くのか

千島列島上には948(hPa)という超弩級の低気圧があるのだが、択捉島、国後島などの南千島を含めた北海道にかかる等圧線は1~2本で、風の無い穏やかな日だった。
 上空に雲が少しあったが、知床半島も今日は、日の射す穏やかな一日となった。
 ただし、気温は全然上がらないが。

 そして、この低気圧は、徐々に近づいている。
 明日あたりからまた、荒れるのだろうか。
そして、この低気圧が大陸から吸い込む大陸からの寒気も相当なものかも知れない。

 だが、どんな寒さも季節が移ろえば、やがて緩む。
 大勢の人間を犠牲にして生き延びようとする会社や米国政府の機嫌ばかりを気にして住民を顧みようとしない政府によってもたらされる「冬の時代」は、まだ当分明けそうにない。
 なぜなら、その不条理に気づいていない有権者があまりにも多すぎるから。

2012年1月12日木曜日

わだつみ・01 レプンカムイに


 わだつみ・01
      -レプンカムイに

あれは
海の意志に違いない

海上に鋭く突き出た 高いマスト
それは 信号旗
海底からわれわれに呼びかける

海面を遊弋する彼らを
誰も止めることはできない
どのような兵器も
彼らを滅ぼすことはできない

海底からの使者は
信号機を掲げ
海の意志を
われわれに 伝える

 「コレ以上
  汚スナ
  殺スナ
  壊スナ
  降伏 セヨ
  ワレラニ 従エ」と
  
それは
警告に従わぬ者を威嚇する刃
いつかは
海を汚そうとする者たちを
海を侮辱する者たちを
滅ぼす

海中で
襲いかかる
時を計る
彼らの気配が
波に透ける

それは
海の意志を伝える者たち

           (写真は、尊敬する故倉沢栄一さんのものを借りています)

2012年1月11日水曜日

薪ストーブと原子炉と古本屋

何気なくニュースをチェックしていたら、2009年10月、札幌市の古書店内で本棚が倒れ、12歳と16歳の姉妹が下敷きになる事故があり、お姉さんが軽傷、妹さんが意識不明の重体になるという事故で、経営者が書類送検されたという記事が目に付いた。
 妹さんの方は、いまだに意識が戻らないのだそうだ。
 気の毒な事故だし、店の管理責任を問われてもやむを得ない。店の責任者も誠実にそれを認めているようだ。
 これで、ちょっと考えた。

 ドストエフスキーの「罪と罰」に、
「一人の人間を殺せば殺人犯になるが、(戦争などで)多数の人間を殺せば英雄になる」とラスコーリニコフが考える場面があったような気がする。
 こんな構造と似ているな、と。

最近、ツイッターで、ホリエモンは、粉飾決算で罪に問われたのに、オリンパスの経営者は、あれほど巨額の損失隠しを長期にわたって行っているのに罪に問われないのか、というような投稿があった。

このような構造は、本当に多い。
 その最たるものが東京電力や、原子力政策を推進した人々だろう。もちろん国(自民党政権)も含まれる。
 第一原発の事故は、やはりどう考えても犯罪だと思う。
 環境への犯罪。

 先日の羅臼町環境審議会で、一人のオトーサンがこんな質問をした。

 オトーサン:
 「自宅でゴミを燃やしたら法律違反になるのが?」
 環境省職員の答:
 「はい。なります。ダイオキシンなどの問題がありますから野焼きは禁止されています」
 オトーサン:
 「そしたらヨ、ストンブ’(ストーブのことです)で、薪を燃やすのも違反が?」
 環境省職員:
 「いえ、薪ストーブは暖房が目的ですから違反ではないのです」
 オトーサン:
 「したらば、薪ストンブでゴミ、燃やしたら良がべやナ」
 環境省職員:
 「いいえ、薪ストーブでもゴミの焼却に使えば、それは違法ということになります」
 オトーサン:
 「へー!そだがぁ。
  ストンブの前でヨ、タバコ吸ってて、吸い殻ばストンブにくべたら違反が?」
 環境省職員:
 「はい。厳密には違法ということになりますねぇ」

 廃棄物の処理に関して、こんなガチガチのおかしな法律で僕らは縛られている。

 いつの時代も、権力にすり寄って、権力と癒着した者が得をする。
 今もそういう時代なのである。

2012年1月10日火曜日

雪の降る日に

上空の寒気が流れ込む直前の穏やかな一日、というのが全国一般的な天候のようだったが、知床や道東地方ではそういうわけにもいかず、雪の降る時間の多い一日だった。
 ただ、風は無く、雪の量もそう多くなかったので、これでも「穏やか」と言える日なのだろう。

 ただし、車の運転には少し苦労させられる一日だった。
 一日を通して、-5℃前後の気温だったので、雪の粉が舞い上がって、ちょっとしとことで視界が失われ、ホワイトアウトになってしまう。

 まあ、ゆっくり走ればいいだけだが、何かの事情で先を急ぐ人もいるだろう。
 そこには、クルマ同士の駆け引きがあり、譲ったり、譲られたりする機会が増えるとただでさえ悪い視界がますます悪化していくことになる。
 運転には神経を使う一日だった。

 粉になって舞い上がる雪を見ながら、放射性物質のことを考えていた。
 原子炉から吐き出された放射能を持つ微粒子たとえばセシウムは、カリウムやナトリウムと同じアルカリ金属だから一価の陽イオンの形をしているそうだ。
 だから雨や霧の水滴に溶け込んで存在しているのだろう。

 粒子の細かな水滴は、あまり目に付くことはない。
 しかし、クルマが走った時に巻き上げる雪を見ていると、それらが簡単に空中を漂うものであることをあらためて、実感した。
 「漂う」と言うよりも空気の一部のようになっていると考えた方が良いかも知れない。

 福島第一発電所からは、そんな物質が大量にばらまかれているのだ。

2012年1月9日月曜日

環境影響評価書に足りていないものについて




 「琉球新報」の社説がフェイスブックで紹介されていたので読んでみた。
 読んでみて、驚き、少し嗤った。

     http://t.co/ebEMKMj7

アセスメント会社の行うアセスメント(環境影響評価)は、いつも胡散臭いと感じていた。
 80年代、「リゾート開発」が盛んだった頃から、これらの会社は「相手にするに値しない奴ら」という印象を強く持っていた。
 なぜか?

 開発を進めるアリバイ作りに手を貸す奴らだから、というのは当然の理由。
 カネを貰って自然環境を売る汚い奴らという軽蔑。

 だが、それ以外に彼らを嫌う、何かもっと大きな決定的な理由があるように感じていた。

 今日、ふと気づいた。

 彼らには感性がないのだ。

 自然の記述は科学だからどこまでも科学的であるべきだ。今回の「辺野古アセス」にはその科学的態度が決定的に欠落しているから、これだけで致命的な欠陥と言える。
その問題は別として、その目的がアセスメントであろうと、研究であろうと、単なる観察であろうと、人間が自然と関わりを持った時、己の内なる感情と共鳴する何者かがそこに無ければならない。
 もちろん、研究者や調査者は、そのような感情を抑制して、調査・観察した事実からデータを蓄積する作業を粛々と進めなければならないのだが、心の内に生じた感情は、それが感情であるが故に、打ち消すことはできない。

 僕の知る多くの研究者は、皆この快い感情を共有しつつ、自然と関わる仕事を楽しみながら成果をあげている。また、苦しい作業にも耐えられるのだと思う。

 しかるに、アセスメントを行う当事者には、このような情動が無いように思う。

 自然を愛でる感情など、調査結果のデータとは無縁のもの、思われるかも知れない。
 しかし、僕はそうは考えない。

 人が自然を見つめる時、そこに展開する現象への驚きや感動、畏敬の念などの感情があるのと無いのとでは、観察や評価の結果に大きな違いが生じるのではないだろうか。

 今まで、あまり考えたことが無かったのだが、辺野古の評価書を見て、ふと思いついた。


 今朝はマイナス10℃以下に冷え込み、原野の枯れ草は霜の華で純白に装っていた。
 ユラリと揺れて大きな月が昇ってきた。

 今夜は満月。寒さも月もみな 美しい

2012年1月8日日曜日

満月のオホーツク海

温泉に入って来た。
 近くの尾岱沼にある、「浜の湯」。
 ややアルカリ性で塩分が濃い。
 湯量が豊富だからお湯はすべて掛け流しだ。
 浴槽や浴室が少々古くてもお湯が常に新鮮であるところがいい。
 反対に建物や風呂場はピカピカで真新しいが、お湯は濾過循環加熱しているという温泉も最近は少なくない。
 この「浜の湯」は、堂々たる「ホンモノ」の温泉なのだ。

 小一時間、露天風呂に浸かり、温泉のように止めどなく湧いてくる汗を拭き拭き外に出る。
 夕映えがぐるりと回り込んで、薄紫に染められた東の空に、丸い大きな月が浮かんでいた。

今日の月齢は15日。

昨日、日本海を見てきた。
 情緒的な日本海も悪くないのだが、やはり月光を照り返しているオホーツク海は、僕がもっとも長期間、その畔で暮らしてきただけに、自分の落ち着く場所、という気がする。