2012年2月21日火曜日

劣ったサルとしてのニンゲン

日曜日、偶然ラジオで動物学者の今泉忠明さんの話を聴いた。その中で「人類は類人猿のネオテニーだ」という話が印象に残った。

 後で調べたらこの説は、心理学者の岸田秀さんや生態学者の今西錦司さんなども支持しているという。

 ネオテニー(neoteny)とは「幼態成熟」と訳される。動物で、性的に完全に成熟した個体でありながら生殖器官以外の部分は未成熟な、つまり幼生や幼体の性質を残している現象のことをいう。
 外鰓を残したまま生殖能力を獲得するが、一生水中で生活するアホロートル(ウ-パールーパー)など脊椎動物では両生類に多く見られる。
 昆虫の世界でもホタルの仲間や、ミノガ(みの虫)の仲間の雌が、幼虫態のまま生殖する。つまり性的には成熟しているわけだ。

 人類も類人猿の胎児の「幼形成熟」で、その証拠に人間の赤ん坊は無能力で、成人しても体毛が少ない。
 いわば子供のまま大人になってしまった「劣った猿」だというのである。
 そして、子供であるが故に、成長し、学ぶ期間が長く、その結果、人間は知能を飛躍的に発達させることができたという。
 さらに、イヌやネコなどのペット、ウシやブタ、ヒツジなどの家畜もネオテニーの傾向を持っているという。

そう言われてみれば、野生動物の荒々しく厳しい生活環境に置かれたら、人間のみならず、これらのペットや家畜の仔は、まず生きていけないだろう。
 そして、加熱した食物しか食べられず、雨風に打たれて生きていけず、大量の電気エネルギーに支えられなければ生活できない人類は、究極の家畜ではないだろうか。

 休日、イヌを連れて散歩に出かける。
 原野に出ると彼女はかすかな音や匂いに感覚を研ぎ澄まして集中している。その横顔を見ていると、何も聞こえず、何も嗅げない自分自身の能力は、明らかにイヌよりも劣っていることを痛感する。
 家にいる時には、僕から餌をもらい、僕に甘える存在だが、ひとたび野に出ると関係が逆転する。

 人類は「霊長類」で、地球上に出現した生物で、進化の究極に立つと、ずっと昔から信じてきたが、最近になってやっとその思想の呪縛から解き放たれたばかりだった。
 だから、「ネオテニー説」を知って、今まで漠然と感じていたことが、はっきりと見えて来たと思った。
そんな自分自身の出自と弱さに気づいた僕は、幸である。

 電気がなければ生きていけないと信じ込み、今に至っても原子力発電にしがみつこうとしている人々、そこから生み出される巨利に目が眩んでいる人々、そして玩具を欲しがるように新しい兵器を欲しがったり、湖や海岸をほじくり返して何かを造ろうとする人々は、「おとな」の皮を被っているが、幼稚で救いようのない存在だということが納得できる。

そして、こう思った。
 「やっぱりな」

0 件のコメント:

コメントを投稿