2012年2月25日土曜日

「競争」のふうけい

札幌に来ている。昨夜はJR札幌駅近くのホテルに泊まった。
 今日が、国立大学二次試験ということで、ホテルは混み合っていた。特に朝食時が混み合うということで、ホテル側からわざわざ丁寧な説明があった。

 受験生は、一生に関わる試験だから、こちらはいくらでも我慢できる。
 ただ、この「受験戦争の現場」に直面して、つくづく競争について考えた。
はたして競争は万能なのだろうか、と。

 すべての競争を否定するつもりはない。幼稚園の運動会で、「皆が並んでゴールイン」なんて、絶対にバカげていると思う。
 しかし、この受験戦争が、いったい何年続いていることか。そして、受験戦争は、はたして、どのような社会的なメリットを生み出したか?ほとんど百害あって一利無しだったのではないか、と。
 その証拠が、昨今、様々の面で行き詰まりを見せている我が国のシステムではないだろうか。
 受験戦争の結果、より優れた人材が輩出するなら、福島の原発事故は無かったかも知れない。事故が起こってしまってからでも、もっと住民のためになる選択がなされていたのではないだろうか。

 受験競争では、定員の数だけ合格者がいて、定員をオーバーした数だけ「敗者」を生み出すことになる。
 今、目の前にいる受験生に、
「頑張って!」と声をかけると、その受験生が合格することによって、誰か一人の受験生が合格できなくなることを祈ったことになる。
 もちろん、人情としては理解できるのだが、突き詰めて考えれば、そういうことではないだろうか。だから、そんな制度はおかしい。おかしいと思いつつ、ずっと続いている。
今では、その「受験戦争」を勝ち抜いた者たちが、「戦争」を継続させ、「戦場」へと向かう者を再生産している。

 もっとなんとかならないものだろうか。

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