2012年1月7日土曜日

日本海が見たくなって

日本海が見たくなって、札幌から小樽まで鉄道に乗った。




 今日の日本海は、冬にしては穏やかな方だったが、暗い青さはやはり冬の表情だった。 寄せいる波も、その内側に凶暴さを秘めているように感じられた。

 辺野古新基地建設の環境影響評価書提出がいかに愚劣で拙速なものだったか、少しずつ明らかになってきている。
 この評価書の「提出」がいかに茶番じみたもので、この国の政府が、国民よりも米国の意向をいかに重視しているかが、この一連の動きでわかりやすく示された。
昨年の暮れから新年にかけ、評価書の提出を監視するために頑張った市民たちの様子は、ツイッターやフェースブックによって、刻々と伝えられたが、大手マスコミはこの歴史的な事件を黙殺し続けた。
 このように報道の「質」も明らかになったが、ここに至り、マスコミも無視できなくなってきたようだ。



 こんな権力者が居座るずっと以前から、日本海は、ここにあった。
 荒ぶる冬。
 優しい夏。
 同じ海とは思えぬほど表情に振幅のある海をほかには知らない。


自分の中の「怒り」をさらに勢いよく燃え上がらせ、
 日本海の波を眺めて、明日からまた頑張ろうという気持ちになって、帰りの汽車に乗った。

2012年1月6日金曜日

札幌で

札幌で開催された「学校教育におけるアイヌ文化に関する講習会」というものに出席した。
 アイヌ文化に関して、初めて知るようなこと、授業に活用するアイディアなどが豊富に提供され、充実した講習会だった。

 ただ、少し物足りなく感じられたこともある。

 伝統文化の継承については充実していたが、アイヌ民族の歴史に関して、特に江戸中期以降に和人から受けた激しい収奪、明治以降の同化政策や差別、現在の所得や就学の格差などには、意識的に口をつぐんでいるとしか受け取れなかった。

 無理もなかろう。
 北海道の先住民であるアイヌ民族を差別し収奪した当事者が今の日本の政府であるわけで、差別と収奪の歴史を教えることは、政府が自分の誤りを認めなければならないのだから。
 この国の政府に脈々と流れる無謬主義(オカミは絶対に間違ったことはしないという思想)は、非常に根強いものがあり、そのために中国や韓国など近隣諸国との摩擦がずっと絶えない。

 このような指摘をすると「自虐史観だ」などと意味不明の抵抗さえ受ける。抵抗者は、本当は「非国民」という懐かしい表現を使いたいのだろうが。
 琉球への差別も同様で、その延長線上に今回の防衛省や沖縄防衛局による沖縄県民の意志を完全に黙殺した、異常な環境影響評価書の「提出」騒ぎが起きているのだと思う。

 どうして、この国の権力者は、このように「単一民族国家」であろうとするだろう。
犯してきた誤りをちゃんと総括し、誤りは誤りとして認めないうちは、
 「ひとつになろう日本」などという標語に違和感を感じて、「絶対ひとつになんかなるもんか」と思ってしまう。

 素直な目で歴史を見、誤りは誤りとして認め、他民族・多文化共存の社会を築く、という立場で社会のあり方を考えて行かなければ、この国に未来は無い。

2012年1月5日木曜日

怒っているんだ

怒りで、全身が震える。
 とにかく腹立たしい。
 これほどの腹立たしさを覚えたのは、久しぶりだ。

 昨年12月28日早朝の4時頃、沖縄県庁の守衛室に、防衛省沖縄防衛局の職員とみられるアヤシゲな者たちによって、密かに運び込まれた名護市辺野古に滑走路を作るための環境影響評価書の一部。
 途中で見つかり、全部を搬入しきれずに逃げ去ったのだ。
 この事実一つとっても、防衛省が正々堂々と提出したものでないことは明白だ。

 今日、沖縄県はこれを「正式に受理したもの」と判断した。
 こんなばかげた話はない。

 日米の政府は、何が何でも辺野古に海兵隊の基地を建設したいという「意志」から出発し、年内に評価書を提出することを至上命題として、スケジュールを立て、市民や有識者からの批判や反対をすべて無視した上で、「提出」を強行したのだ。

 前防衛局長の田中某は、この計画を破廉恥にも強姦に例えて更迭された。
 しかし、その後任の真部某は、田中の比喩を「夜這い」に変えて実行して見せた。
 いずれにしても許されることではない。

 この振る舞いは、日本の民主政治の歴史上、大きな汚点になるだろう。
 こんな経緯で、沖縄県北部の美しい自然や豊かな生物相が、破壊されるとしたら、それは、地球の大きな財産が永遠に失われることを意味する。

 日本中の、いや世界中の自然保護団体で、この暴挙に抗議しない団体があるとしたら、それらは「ニセ自然保護団体」と誹られても仕方ない。
 自然保護に多くの資金を提供している企業も、この乱暴で野蛮な行為に抗議しないのであれば、「あなたの自然保護はポーズだけだった」と言われても申し開き出来ないだろう。


 シーシェパードよ!
 ジュゴンをはじめ、キミらの愛する海獣類た多く生息している海域なのだよ。
 南氷洋で、日本の捕鯨船の邪魔をしているヒマがあるのなら、辺野古に来て米軍の妨害でもしてみてはどうだろう?
 そうしたら、僕も、これからクジラ汁を食べる習慣を考え直してもいい。

 この問題に関して、尊敬する目取真俊さんが冷静、かつ詳細にブログに書いているので参照して頂ければ幸いである。

http://blog.goo.ne.jp/awamori777/e/168fdb6020c1c5485503ecac2170d915

2012年1月4日水曜日

薪 あつめ

薪が足りなくなってきた
少し集めてくることにした






原野の片隅に小さな森がある

 倒れている樹たち
 枯れた枝
 薪になって暖めてくれる


「倒れた樹や枝、少しもらってもいい?」と心の中でつぶやく
「おお!持ってってくれ。少し多すぎて困っていたから」
そういう答えが返ってくる

 「もっと持ってっていいのに」
 「うん。また、来るさ」

 「じゃね。あがとう」


ストーブに入る大きさに切って出来上がり 


 森のくれた薪は暖かい
 暖かさは
 森のめぐみ
 夏の日の太陽を
 森がとっていてくれたから

 ただ ただ 感謝

2012年1月3日火曜日

揺れる黒猫


 空中を黒猫が漂う

 ブラブラと
 揺れる黒猫
 
 ふじ棚に
 爪一本でぶら下がり
 ゆらゆらと
 揺れる黒猫
その単振動

 振動のエネルギーは脂身
 ふじ棚から吊られた金網に
 鳥のための入れられている脂身

 黒猫は跳躍し
 爪一本でぶらさがり
 振り子のように動き始めた

僅かな脂身のために
 強い北西の風に吹かれて
揺れる黒猫

 それは
 案外
 黒猫の揶揄だったのか
 世の中にあふれる
 プレカリアートを
 演じてみせたのだ

 なぜなら
黒猫は
 それから
簡単に脂身をせしめ
 黙って立ち去ったから

 ふじ棚には
しばらくの間
 金網の揺れと
 数本の黒い毛が
 残されていた

 そして
 振動は大きく広がり始める

2012年1月2日月曜日

正月二日目

正月二日目。
 イヌとの散歩、薪集め。
 そんな単純な時間で一日がゆく。

 沖縄では、辺野古新基地からヤンバルの自然を護ろうと
 必死で闘う人々がいる。
 原発の危険性を
 訴え続ける人々がいる。
 
 申し訳ない、ゆったりとした今日の暮らし。
 だが、
 絶対に忘れない。
 不当で、邪悪で、どこまでも利己的な奴らと
 相容れぬ闘いをしている人たちと
 自分の心も共にある、ということを。

2012年1月1日日曜日

氷上に斃れしシカはワシとなり カムチャツカの空へ旅立ちて行く



 朝寝坊をし、お雑煮を頂いてからノンビリ散歩。
 昼過ぎからちびりちびりとお酒を飲んでいる。
 お酒を飲んでいるということは、クルマを運転しないということで、クルマに乗らないということは、どこへも出かけないということだ。

ゆったりと 時がながれる お正月

 朝、外に出て、真っ先に気がついた。
 凍った裏の池シカが死んでいた。
 大勢のカラスたちと十数羽のオオワシが氷上のシカに集まっていた。

 狩猟者の弾が急所を外れ、半矢(手負い)になってどこからか逃げてきたのか。
 それとも交通事故だったのか。
 どちらにしてもだだっ広い氷の上で息を引き取ったものらしい。
命を落としたエゾシカは気の毒だが、
 鳥たちにとっては、思いがけないお正月のゴチソウということになる。

シカの身体を形作っていたタンパク質や脂質などは、オオワシに食べられて、オオワシの身体をつくることになる。
 春になると、彼らは繁殖地であるカムチャツカ半島などへと渡って行く。
 エゾシカの身体を作っていた物質が、これからはるばるとシベリアまで旅するかも知れない。

 こう考えると、「些細な日常」から「壮大な飛躍」を想像することができる。

 2012年、最初の大きな出来事であった。