2013年4月30日火曜日

4月29日 持続可能性をもとめて会議は一日じゅう続いた

 ホテルから一歩も外に出ることなく朝から会議が続いた。  終わったのは夕方。2キロくらい散歩した。  昨夜は2時近くまで今日の発表の準備をしていたので、今朝は朝食の始まるギリギリまで寝ていたので、このままでは狭いケージで餌だけはたっぷり与えられるブロイラーと変わりないと思ったので散歩に出かけることにした。  ホテルの裏側はサンフランシスコ湾で、湾を挟んで向こう岸に市街地が見える。空港からこのホテルに直行したので、まだダウンタウンには行っていない。  海岸に沿って気持ちの良い遊歩道があり、犬を散歩させている人が目立った。一瞬、アメリカの大都市にいるという緊張感を忘れるような長閑で良い夕方だった。  会議では、ESDについて論議されたが、ほとんどが日米の現役の教師たちなので、自分の実践や経験を披露する発言が目立った。  ESDのいう「持続可能性」の真偽についてとか、ESDを構成する各種の課題教育の中で環境教育の優位性(あるいは基盤性)について多くの人の考えを聞きたかったのだが、ちょっと物足りない印象があった。  しかし、他の参加者の意欲に水を差すのはマズイので、しばらくは聞き役に徹することにした。明日、小グループのディスカッションがあるので、その場で議論できたら良いと思う。  ソルトレイクシティを回ってきたグループで、各自が分担して報告したのだが、僕には「まとめ」を書く役割が回ってきた。  その文を載せておこう。  私たちの仲間に南太平洋のサモアに行った経験を持つ人がいます。出発前、彼はこんなことを問いかけた人がいました。 「サモアの人々は、お金もITも自動車もないのに皆、自分は幸福だと思っている。それに比べて、われわれ先進国ではどうだろう」  私たちの今回の旅は、人間の幸福とは何かを考える旅だったかも知れません。  そして私たちは、旅の終わりにこの「Reverence for nature=自然への畏敬の念」というキーワードに行き着きました。  これは、ソルトレイクシティのホークウォッチ・インターナショナルというワシタカ類の調査研究と教育活動をしている組織にいたアカオノスリ(RED TAILED HAWK)です。有刺鉄線で傷つき、もう空を飛べません。  この目は何を訴えているのでしょう??  ソルトレイクシティは、周りを山や沙漠や湖にとりまかれた近代的な都市です。私たちはそこで、このように考えました。  生物は地球上で37億年間、命をつないできました。  これからも自然から離れて生きてはいけません。  持続可能で幸せな世界を未来の子どもたちに遺すために、何が必要か。  自然環境の持続なしには、文明や文化の持続もありえません。  そのためには自然を正しく読み解く能力が必要です。  自然環境や資源を利用する時、立ち止まって考える自制心も欠かせません。  それには、目的をもっていつまでも学び続ける心、あらゆる生命を愛し平和を求め続ける心がなくてはならないでしょう。  部屋に戻ると夕焼けと街の灯りが美しかった。

2013年4月29日月曜日

SEE YOU SALTLAKECITY! 「アメリカ」というシステムについて

 サンフランシスコに着いた。  ソルトレイクシティ空港までは、デビットがポルシェで送ってくれた。彼が宝物のように大切にしているクルマだ。最大の親切心をもって見送ろうというユーウェルさん一家の意志の表明であろう。  ありがたいことだ。  ソルトレイクシティ空港からボンバルディアCRJ200という小さな小さなジェット機で飛び立ち、午後1時過ぎ、サンフランシスコ空港に到着した。  ホテルはヒルトンという超豪華なホテルだった。自分の一生ではもう二度とこのような豪華ホテルに停まることはなかろうという部屋だ。  着陸前の機内から海が見えた。久しぶりに見る太平洋は、なんだかとても懐かしく感じた。望郷の念のようなものだろうか。ヨーロッパやニュージーランド、ヴェトナムなどでは、あまり意識しなかった感情だ。  他の国を旅した時に比べて、アメリカにいると妙に居心地の悪さを感じる。アメリカ人の家庭にホームステイし、温かく親切に迎えてもらい、行く先々で親しくもてなしてもらっていながら申し訳ないのだが、本音と述べるとそういうことになる。  やはり圧倒的な物量で世界を支配しようとし、弱い者、小さな者を気にかけないこの国の気風がどうしてもなじめない。  一人一人のアメリカ人は、明るく人が良く、情にも厚い。標準以上に親切かも知れない。しかし、国のレベルでなくても集団としての傾向がどうしてもそのように傾斜しているように思えてならない。  このことは、いずれもう少しじっくりと考えてみたい。

ソルトレイクシティの休日

4月27日(土)  連日の学校訪問等の日程から解放され、一日ゆっくり休養をとることができた。  昨日からホームステイしているデビッドさん夫妻は、まるで親戚のように親しく遇してくれている。  今朝は、彼が所有する二匹のポインター(鳥猟犬)の運動と訓練に連れて行ってくれた。  行った先は、西部劇に出てくるような荒野であった。    一度帰宅して、朝食を摂ってからダウンタウンに行った。 ここまで咲きそろうと人工の花壇も見事なものだ。  モルモン教の総本山の寺院を見学。2万人以上が収容できるという大ホールを見せてもらう。  古い電車の車体を作り直したレストランで食事をした後、ロッキー山脈の南端に当たる山岳地帯に連れて行ってもらった。  そこで、小高い峠からはるかに東の方向を望見することができた。19世紀の半ば、大勢のモルモン教徒がこの峠を越えてソルトレイクシティに入植してきたのだそうだ。  もう一つの幸運は、この場所でエルクを見ることができたことだ。 一日のうちで、沙漠と都会と山をすべて経験できた。

2013年4月26日金曜日

4月25日

密度の高い日程の一日だった。  朝、第一番にボンヴィル・エレメンタリースクールを訪問。  午前中はここで過ごし、昼食を食べてからユタ州立大学植物センターを見学した後、ソルトレイク研究所のガイドでアンテロープ島州立国立公園を見て回るツアーを行って、市内に帰ってきた。  圧巻だったものの一つは、ソルトレイクという塩湖の風景とその中の最大のアンテロープ島の広大な草原、湖と空の広がる景観 だ。  そして、もう一つは多、フランクリンカモメやwhite front ivis(Plegadis chihi)(和名 カオジロトキ)などが集まる湖の北東の湿原だ。  これらの二つの見学先については、いずれ改めて記録しておこうと思う。  実は、もう一つ、驚いたことがあった。  それはボンヴィル・エレメンタリーリースクールでのことだが、ここは特に芸術教育に力を入れてESDを展開してるということで、子どもたちによるミュージカル(彼らは「グリーンオペラ」と呼んでいた)を見せてもらった。4年生の小型の作品と3年生3クラスがそれぞれ環境をテーマに演じるオムニバス形式の作品が中心だった。  それら3つの作品群の中のに現代の子どもを蝕んでいるテレビゲームやファーストフードのことを取り上げたものが2つもあった。  特に食物と農業、食品資本が歪める農業の問題を真正面から取り上げた作品は、「これがモンサントやマクドナルドなどのお膝元の国の作品か?」と思うほど痛烈な批判を含んでいた。  「批判的思考」はESDの重要な要素であるが、本当に「ここまで!」と驚かされる内容だった。  

2013年4月25日木曜日

4月24日(火)

 ソルトレイクシティで迎える初めての朝は、快晴で風もなく、どこまでも空気が澄んでいた。  標高1200メートルのところにあると聞いたが、市街地の中心部からビル越しに雪をかぶった高い山が見えていた。  この場所は基本的には砂漠地帯だが、そこに突然高い山がそびえていることで、山の裾野に肥沃な土地が広がって、人々が暮らしやすい場所となったのだろう。降水量が少なく乾燥気味の気候と山から流れてくる水によって、まるで理想郷のような土地ができることは、天山山脈の麓に広がるタクラマカン砂漠のオアシス都市トルファンに似た空気だと思った。 トルファンはユーラシア大陸の中心部にある、ソルトレイクシティはアメリカ大陸の中央にあることが共通点だから、似ていて当然かも知れない。  今日は、中学校と高校の二つの学校、広大な谷をゴミで埋め立てつつリサイクルに取り組んでいる企業の三カ所を訪問した。  最初の訪問先はレイクリッジジュニアハイスクール。 ここでは、日本の三年生にあたる生徒たちが模擬国連会議を行っていた。一人一人の生徒が世界各国の代表に扮して、国連会議の場で農業の持続性の維持について討論するという授業で、議事の運営についての協議も、議長もすべて生徒たちの手で行っていた。  次に訪れたのはリーハイハイスクール。  校内にstudent councilという生徒会に相当する組織があり、プレジデントと呼ばれる生徒会長を中心に執行部があるところは、生徒会に似ているが、50人に近い生徒が様々なの役割を分担していて、まるで行政組織のようになっており、日本の高校の生徒会よりも大学の自治会に近いように感じられた。  ラッセル先生という生物の先生が中心になり、後はスクールカウンシルの生徒が我々を歓迎してくれた。  訪問の最後は、ゴミの埋め立て場だ。  ソルトレイクシティの南にあり、なんでも規模のおおきな米国だが、10年以上にわたってゴミを埋めたてている。しかしあと17年で満杯になるので、次の計画が必要だということだった。  周辺は砂漠につながる荒れ地で、住宅や農地があるわけでもないので、ここに処理場(埋め立て処分場)をつくることへの抵抗は無いのだろう。  しかも、処理会社では、できるだけリサイクルに努めていて、それを児童生徒に普及させてゴミを減らすキャンペーンに力を入れているようだった。  しかし、乾電池もそのまま埋めていて、含まれる水銀(最近の乾電池には含まれていないものがほとんどだが)はどうするのか、と質問したら 「完全に防水しているので問題ない」という答えが返ってきた。  良い意味でも悪い意味でも、これがアメリカ的な発想なのかも知れない。  原子炉の使用済み燃料も、結局こんな発想で対処しているに違いない。それは、アメリカのような広大な国土の国で言えることであり、世界中どんな国にも当てはまることではない。  原発問題の根の一つがこの辺にあるような気がした。

2013年4月24日水曜日

西部へ!

 朝、曇り空だった。  厚い雲で、いかにもこれから雨になりそうだったが、昼過ぎから青空も少し見えてきて、降ることはなかった。  朝、7時30分にホテルを出て、T.C.ウィリアムズハイスクールという公立の高校を訪問した。  ワシントンDCのすぐ隣だがメリーランド州のアレキサンドリア市にある。  生徒数が3200人、教員が279人という大きな高校だ。生徒の出身国は40カ国にもおよび、白人は20パーセントしかいない。そして、20パーセントの生徒は英語が母国語でない生徒たちで、一般教科の指導との中に英語の指導も含めている。  ただ、英語の指導のために特別な時間を設けてはおらず、あくまでも一般教科の指導の中で行っているということだった。  生物の授業を見せてもらった。生徒数19人でDNAの基本的なはたらきや糖と酵素の関係など、生物の基礎としてはそれなりのレベルの授業を行っていた。全員がPCを持っていて、ウェブサイトをみながらプリントに書き込む授業をしていた。中にはスペイン語で書かれたサイトを見ている生徒もいたが、先生の講義はすべて英語だった。  代数の授業を見てきた人によると、代数の先生は英語とスペイン語の両方を使って説明していたということだった。  多くの移民を抱えて苦しむアメリカ社会の一面がここにあるのだろうと思って見てきた。しかし、政府から3年間で200万ドルとい巨額の予算を特別に配当され、さまざまなクラブ活動や教科のメニューが用意されて、生徒たちは底抜けに明るく学校生活を楽しんでいるようだった。  悪い意味ではなく、問題を圧倒的な物量の投入で問題を解決するというアメリカらしさが、こんなところにも表れているように感じられた。  午後、ダレス空港に移動。15:05発のシカゴ行きでシカゴオヘア空港着。  空港だけとは言え、初めてシカゴを訪れることができて、なんとなく得した気持ちになった。  やや長い待ち時間の後、小さなジェット機に乗り継ぎ、3時間飛び続けやっとソルトレイクシティ空港に到着した。  ホテルはモルモン教の本山のすぐ近くのこぢんまりした所だ。  すでに現地時間で夜10時近くになっている。ワシントンから3時間の時差があるからワシントンでは、深夜1時ということだ。  シカゴで軽食を食べたが、少し空腹を感じていた。だが、アメリカに来て、毎回、十分すぎるほど食べているので、そのまま眠ることにした。  そろそろ旅の後半である。

2013年4月23日火曜日

 バスは  バスは9時に出発。  ワシントンDCから約1時間の距離にある、チェサピーク湾の環境教育施設CHESPAX(チェスパックス)を訪問した。午前中は説明と記念植樹、午後は実際のアクティビティを体験した。  この施設はメリーランド州のカルバート郡内のすべての学校が利用する環境学習施設で、25の学校の16300人の生徒が一年間を通してクラス単位で利用している。チェサピーク湾とパックス川に挟まれた半島に位置していてボランティアを含む6人くらいのスタッフで運営している。  われわれはアメリカハナズオウを記念植樹し、昼食の後は腐葉土と土、草地の水の透過性の違いについての実験、水の透明度の測定、地引き網による魚の捕獲、そしてバードウォッチングの4つのアクティビティを体験した。  日本の野外体験も盛んになってきているが、児童生徒の数に対して指導者が少なく、一人で20人も30人ものの子どもを指導することが少なくない。 「野外」という場に出ると、子どもたちはどうしても気分が高揚する。それは悪いことではないが、「野外での活動=遊び」という受け取られ方をされてしまいがちだ。  この意識は、教師の側にも生じる。  それに対しては、きっちりとしたカリキュラムと指導案、少人数による指導によって対応するのが最良だと思う。  ここでは、そのような緻密な環境教育が行われていた。 9時に出発。  ワシントンDCから約1時間の距離にある、チェサピーク湾の環境教育施設CHESPAX(チェスパックス)を訪問した。午前中は説明と記念植樹、午後は実際のアクティビティを体験した。  この施設はメリーランド州のカルバート郡内のすべての学校が利用する環境学習施設で、25の学校の16300人の生徒が一年間を通してクラス単位で利用している。チェサピーク湾とパックス川に挟まれた半島に位置していてボランティアを含む6人くらいのスタッフで運営している。  われわれはアメリカハナズオウを記念植樹し、昼食の後は腐葉土と土、草地の水の透過性の違いについての実験、水の透明度の測定、地引き網による魚の捕獲、そしてバードウォッチングの4つのアクティビティを体験した。  日本の野外体験も盛んになってきているが、児童生徒の数に対して指導者が少なく、一人で20人も30人ものの子どもを指導することが少なくない。 「野外」という場に出ると、子どもたちはどうしても気分が高揚する。それは悪いことではないが、「野外での活動=遊び」という受け取られ方をされてしまいがちだ。  この意識は、教師の側にも生じる。  それに対しては、きっちりとしたカリキュラムと指導案、少人数による指導によって対応するのが最良だと思う。  ここでは、そのような緻密な環境教育が行われていた。