2009年2月15日日曜日

キラパジュンのこと


 キラパジュンを思い出している
 30年以上も前のある秋、網走から帯広まで往復した。仕事を終えた午後に出発し、深夜に帰宅した。キラパジュンのコンサートを聴くための強行軍だった。

 史上初めて民主的手続きによって成立したチリのアジェンデ社会主義政権を生み出すために活動した芸術運動があった。米国に後押しされた軍部のクーデターによって同政権が倒れ、ビクトル・ハラなど多くの芸術家が弾圧され虐殺された。この時、海外にいたキラパジュンは、帰国することができなくなり、亡命生活を送りながら演奏活動を続けたのである。南米は、アメリカ合衆国に近いがゆえだろうか、様々な圧力と干渉を受けて政治的にいつも揺れ続けてきたのだが、富の公平な分配を求める革命運動も根強く続いている地でもあるだろう。そのような土壌で育ったのがキラパジュンであり、キューバ革命であり、チェ・ゲバラの生き方だったのではないだろうか。
 実に多くの芸術家がゲバラを讃える歌を歌っている。
  サンクリストバルの文化センターのホームページからは、それらの歌を無料でダウンロードできる。
     http://www.sancristobal.cult.cu/sitios/Che/canciones.htm

 キラパジュンもゲバラを歌っている。
    ELEGIA AL CHE GUEVARA  「チェ・ゲバラのエレジー」だ。
 同ホームページの中の106番目にある。

 「チェ・39歳 別れの手紙」を観てきた。印象が強過ぎてクラクラする。感想がなかなかまとまらないのだけれども、凍結路面にハラハラしながら帯広へ急いだあの夜のことを思い出した。僕も、どこかで連帯している、と思いたい。

2009年2月14日土曜日

羅臼大雪




 朝、起きてビックリ。
 「今年は雪が少ない」と言い続けいてきたが、いやはや恐れ入りました。自然はちゃんと帳尻を合わせてくれるものではある。それにしても昨夜未明から数時間でこれほど降り積もるとは。
 ただし、現在ところは風が弱く、羅臼町は孤立していないらしい。もちろん、根北、美幌、清里などの各峠は通行止めになっているのだけれど。

2009年2月13日金曜日

ワタリガラス

 朝、通勤で坂を登っているとワタリガラスが鳴いていることがよくある。羅臼にはハシブトガラスの多く住んでいる。ワタリガラスはハシブトガラスよりも一回り大きく、尾羽はくさび形になっている、と言われている。
 「と言われている」というのは、外見ではなかなか区別が難しい、と感じるからだ。僕の場合、決定的な識別点は鳴き声による。図鑑などには「カポン、カポンと鳴く」と書かれているが、そのような聴こえ方よりも声の質で区別している。

 ワタリガラスは、多くの北方先住民族の神話に登場し、人間に火の使い方を教えた、など知恵のある自由な存在として描かれている。ハシブトガラスやハシボソガラスなど「その辺にいる」カラスとは別格に扱われているのだ。

 「わたり」とは旅することであり、「場」にとらわれない自由な存在の象徴なのだろう。そしてなおかつ豊富な知恵を備えている存在なのであろう。北方諸民族が尊敬し、神話に語り継いできたのもうなずけることである。

 毎朝、ワタリガラスに会えることは、とても幸せなことだ、と改めて思うのである。 

2009年2月12日木曜日

高校入試

  今日は、高校入学者選抜検査だった。
 普通は3月4日なのだが、羅臼町では「連携型中高一貫教育」を実施しているために一般の学力検査(つまりは入学試験ネ)は実施しないのである。代わりに受検生は、知床学(知床の自然環境や歴史、暮らしに関する学習)で、自分で調べたことを試験官の前で発表するプレゼンテーションをするのだ。後は、面接と作文である。たくさんの中学生が、早朝から学校に来て、緊張した表情で思い思いのテーマのプレゼンテーションを行っていた。
 おそらく、彼らにとっては、生まれて初めて出遭う社会的試練であろう。2009年度の入学生になる。順調に行けば、2012年3月に卒業していく生徒たちである。全員が合格し、入学、そろって卒業していって欲しい、と心から思う。
 ただ、一般的に言って、昨今の中高生を見ていると勉強する動機が自分の心の中から湧き出していないような感じを受ける生徒が増えているように思う。なんか「勉強してやっている」というような態度がホンネの所に見え隠れしているように感じるんだなあ。周りも、なんだか本人に頼むようにして「勉強してもらっている」ように見えることがある。タテマエはともかく、ホンネがそれなんじゃないかな。だから学校への送迎だとか、買い与える物だとか、チヤホヤしているように見える。だが、それは大きな間違いだ。学ぶ営みは、自分自身の成長のためであるし、学問はすべて自分の身になるものだ。自分のために学ぶのである。
 そして、学問することを立身出世のための手段のように捉える、考え方からも社会全体でそろそろ卒業したらどうなのかなあ。

 「学ぶ営みは一人ではじめて、一人へもどっていく。はじめた自分ともどっていく自分とのあいだに、たくさんの人がはいればはいるほど、学んだものは高くなり深くなる。」
と書いたのは、むのたけじ さんだったと思う。(むのたけじ:詞集「たいまつⅠ」より)

 でも、高級官僚が天下りをして、財団や公益法人を渡り歩いて、法外な退職金を手にしている現実をみると、子どもの尻を叩いて頂点の大学を目指させたくなるんだよね。それが「国民感情」というものかもしれない。
 極東の島国の珍現象であっても、なかなか直らないものかも知れないね。

2009年2月11日水曜日

鉄と油と牧草ロール

 ウマたちに牧草のロールサイレージを出してやった。1個200kg以上あるのでトラクターを使う。トラクターの前面に付いているフロントローダーという腕を油圧で操作してロールを運ぶ。少し前からローダーの動きが悪いことに気づいていた。レバー操作より動きが遅れるのだ。おそらくローダーを動かすための油圧が足りないのだろう、と見当は付いていた。
 しかし、時間がない、寒いなど様々な口実を設けて点検を怠っていたのだ。今日は、意を決して点検してみた。油圧はギヤオイルと共用である。点検口を開けてレベルゲージを見ると、標準からほど遠い。
「やっぱりナ」と思いつつ補充作業を始めた。なんと、10リットル以上も不足していた。こんな状態で、文句ひとつ言わずに(言えない!)よく働いてくれていたものだ。スマヌスマヌと詫びながら給油した。そのほか、レバーやカムなど外に出ている摺動部(しゅうどうぶ=つまり動いてこすれ合う部分ネ)の潤滑油が不足して全体的に動きが悪くなっている箇所に給油した。すると、フィアット社製77馬力は、生まれ変わったように(ちょっと大袈裟)元気を取り戻してくれた。
 それにしても、鉄という材料は、冷たく無機的な存在(無機物だって!)だが、ヒトが手をかけて可愛がるとすぐに嬉しそうに反応する。生きているもののようなところがある。不思議な材料だ、と思った。
 ヒトが鉄と出会ったのは、ずいぶん昔のことだろう。ヒトの文明は鉄と共に歩んできたと言うことができる。そして、鉄を錆から守り、摩擦を減らすために油が必要になり、良い潤滑剤を手にすることで、鉄はますます存在価値を高めたのだろう。

 トラクターの手入れをしながら考えたことでありました。

2009年2月10日火曜日

火星人来襲!



中身抜かれ裏返されてさらされる
     地球は怖い星なのである

丸いから頭のように見えるけど
    お腹なのですタコの頭は

裏返しさらして見せる腹の中
これほどサバサバしているのだよと

  これはヤナギダコという種類のタコである。ミズダコよりずっと小さい。
 頭のように見える部分は実はお腹。内蔵を取り出して裏返し、開いて干しながら売られている。寒風にさらされて引き締まった身は、柔らかいが歯ごたえがあり、うま味が詰まっていて美味しい。茹でても揚げても身が固くならないようだ。
 カルパッチョにしようと薄くそぎ切りにしていったが、つまみ食いが止まらず、足2本半くらいの分量を食べてしまった。

2009年2月9日月曜日

アチキの眼鏡

注:「アチキ」とはロシア語で眼鏡のことです。

子どもの頃から夢があった。
 メガネをかけてみたかった。子どもの僕にとって大きく偉大な父は、先天的な近眼でメガネをかけていた。それに憧れを抱いていたのだろう。
 小学校に入学し、視力を測定するようになって、自分の視力が「2.0」であることがわかった。メガネなどまったく必要ない、健全な眼であることを知った。もちろん、僕はそれを素直に喜んだ。その頃はもう、メガネを父親の象徴と感じて、自分もかけてみたいなどという気持ちは消え失せていたから。「視力2.0」の生活は、それ以来ずっと続いた。他にあまり自慢するものを持たない僕にとっては、数少ない自慢のタネであったことは言うまでもない。
 しかし、50代に入ったある日、突然視力の衰えを感じた。宇和島(四国、愛媛県)を旅行中のことだった。夜の市街地を歩いた時、店の看板が読めないのだ。北海道に帰ってから恐る恐る北斗七星のミザールを見てみた。すると、小さな星がすぐ近くに二つ並んで見えていたはずだったものが見えないのだ。その時の狼狽は激しいものだった。
 正式に視力を測定すると、かなり低下していることがわかった。それ以来、視力検査が怖いものに思えてきた。運転免許はギリギリで通過。狩猟免許の更新の時も、ギリギリだった。誰だって自分の身体の衰えを認めたくないものであろう。

 先日、思い立って眼科を受診した。視力は右0.5、左0.7であった。医師は、
「メガネを必要とするギリギリの視力です」とアドバイスしてくれた。
「メガネをかけたからと言って視力の衰えが進むということはありません」という医師の言葉を信じて、メガネを作ることにした。これまでの人生をメガネ無しで過ごしてきた僕にとって、これからメガネをかける生活は正直言って。だが、クリアの視界、遠くの物もよく見える眼というのは、魅力だ。射撃の照準も合わせやすくなるはずだ。今より本も読みやすくなるだろう。

 昨日、注文してたメガネが出来上がったと連絡が来たので、さっそく受け取り
に行った。初期の違和感がまだ残っている。だが、夜空を見上げて驚いた。星がきれいなのだ。今までも星空は美しいと思ってきたけれど、視力の衰えとともに徐々に滲みが出てきていたのだろう。眼鏡越しに見上げる星は、暗黒の宇宙にクッキリと浮き出すように輝いている。こんなにも美しい宇宙空間で僕たちは生きているのだ、とあらためて思った。そんな思いを抱かせてもらえただけで、メガネを作った価値はあったな、という気がしている。

 間もなくやって来るルーリン彗星もクッキリ見えることだろう。