2012年6月10日日曜日

真夜中のナース

「真夜中のナース」などというタイトルを付けると安手のポルノみたいだけれど、いたって真面目なのだと、最初に断っておく。  痛みは少しずつ和らいでいる。  痛さの源は、二つに大別される。一つは肋骨と鎖骨の折れている所。骨折だから痛くて当然だ。特に肋骨は、肺に触れていて、下手に激しく動かすと肺の傷口を広げかねない。用心しているのだが、例えば、寝返りを打とうとしたときなどふとしたはずみに「オイッ!」という感じで電撃的な痛みが走る。  もう一つは、股関節。  こちらは、骨に異常はない(はずだ)が、転倒したときに強く打ち付けられて筋肉が相当損傷しているようで、まるきり力が入らない。病院に運ばれた翌朝、それに気づかぬまま立ち上がろうとした時、全く自立出来なくなっている自分自身に初めて気づいて、愕然とした。  だが、考えてみればこちらの損傷は、今すぐ生命に関わるものではない。さし当たり、肋骨と鎖骨骨折への対応が優先されたのもやむを得ないだろう。  こちらの痛みは、立ち上がろうとした時、音楽のクレッシェンドのようにやって来る。 「ええでっかぁ?イキまっせっぇ。ほらほらほらほら、ズドドドドドドオン」という感じだ。 ただ、ありがたいことに、こちらの痛みは日に日に僅かずつだが、薄らいできている。だから、今は、カタツムリより若干速く歩けるようになった。  明日は、シャクトリ虫くらいのスピードになり、明後日はゴキブリくらい、週末には、トノサマバッタ並みにはなれる(かも知れない)。  そんなワケで、ベッドで過ごしていることが多い。運動不足になる。昼間も時々うつらうつらする。だから、真夜中に眠りが浅くなる。  昨夜、真夜中にごく近くに人の気配を感じて目を覚ました。  すると、夜間の当直の看護師さんが、ベッドの枕元にある酸素のバルブを調整してくれていた。  肺の損傷があるので、1分間に30リットルの酸素を吸入している。昨夜、寝る前にトイレに行ったとき、もったいないと思って、自分でバルブを一旦閉じた。戻ってから再びバルブを開けたのだが、開け方が足りなかったようだ。  彼女は、どうしてそれに気づいたのだろう?吐出する音だろうか。  眠っている僕を起こさないように、吐出量の微調整をしてくれていたらしい。  こういう人々の努力で、僕らの命が守られているのだなと、あらためて感じた出来事だった。

2012年6月9日土曜日

シカとの衝突、それから

正直なところ、かなり高速で走っていた。  海岸線に沿った国道。長い直線区間である。海岸段丘のすぐ下であり、普段はあまりシカを見かけない場所なのだ。  そのため、僕の意識からシカのことは消えていた。  まだ薄明るい国道上、不意に二頭のシカが縦に並んで道を横切っているのが見えた。ブレーキをかけられる距離ではなかった。  それ以後の記憶はハッキリしないのだが、二頭のシカの身体とバイクの車体と僕自身がもつれ合って道路上を滑ったのだと思う。  気がついた時は、通りがかった人に助け起こされていた。  やがて来た救急車で別海町の病院へ運ばれ、応急的な処置を受けてから釧路の病院へと転送された。  初めての救急車、初めての点滴、初めての入院・・・・、今まで、自分とは別の世界だと思っていた事態が一気に身に降りかかってきた。  いろいろな人の力を借りたし、いろいろな人を心配させた。仕事の上では、いろいろな人に迷惑をかけた。  だから、せっかくの?この体験から出来るだけ多くのことを学び取るようにしたい。  さしあたり、Face bookを通して、ご心配くださった方々に、お詫びとお礼をお伝えしたい。

2012年6月5日火曜日

台風とイワシとマスメディア

南よりの風が入ってきて暖かな一日だった。冷涼な気候に慣れている羅臼の子どもたちには、もう一押しで「暑い」と言わせる気温だったのではないか。

 沖縄を台風が通過しているようなのだがどういう状態になっているのか、さっぱりわからない。ニュースで取り上げられないのだ。これが、東京に接近している場合には、しつこいほど繰り返し、こちらの生活は無関係の詳細な鉄道路線の運転状況まで聞かされる。
 この扱い方の違いは何故だ。
 人口の密集度が違うから、ニュースへの需要が違うと言われればそれまでだが。

 では、今日、小さく取り上げられていた。千葉県のいすみ市の大原漁港で、大量のイワシ(カタクチイワシ)が漁港内に入り込み、4日朝にほとんど死んだ状態になって発見された、というニュースはどうか?
 総量は200トンにのぼるという。
 カタクチイワシ一匹は、20cmの体長として20グラムと仮定して1000万匹だ。
 僕は、このニュースを帰宅してから知った。
 魚の大量死は時々あるから、それほどのニュースバリューはないのだろうか。

 直接の原因は、狭い港に大量のイワシが入り込んだことによる酸欠ではないかとも言われているが、確かなことはわからないという。
 動物の異常な行動が、しばしば大きな天災の前に起こることもある。千葉県付近では、中小の地震も頻発している。
 地震と魚の異常行動を根拠なく結びつけて考えるべきではないかも知れないが、この大量死のニュースをもう少し詳しく知りたいと思った。そして、過去の事例や現在の状況を的確に把握している専門家の意見も聞いてみたい。
 だが、このニュースもあまり取り上げられていなかったようだ。

 原発事故以来、ニュースを流す側への不信感も強まっている。
 マスコミには、健全さを保ち、少数者や過疎地のことをもう少し注意深く扱って欲しいと願うのだが。

2012年6月4日月曜日

牙を磨け、爪を研げ

昨日の小ブログに次のように書いた。(再録します)
 「本当は、昨年の福島第一原発の事故が、それをするための絶好の機会だったし、そう  することこそ、地震、津波などで失われた多くの生命に報いる方策だったと思う。
  しかし、現実は、それとは反対を向いて動き出そうとしている。なんと愚かなことだ  ろう。喉元過ぎれば熱さを忘れる野田。」
 言うまでもなく末尾の「野田」は野田総理大臣のこと。変換ミスではない。
 
原発の問題にしても、消費税論議を含む富の偏りにしても、国民の意見・感情と政治が、これほど乖離(かいり)して、対立したことは、それほど無かったのではないか。
 60年安保、70年安保などの反対運動の高まりに手を焼いた支配者は、反対運動の牙を巧妙に抜く手法を開発し、国民支配の技術を磨いた。
 優秀なエリートを育て、国家機構の要所要所に配置し、国民支配を徹底した成果が顕れているのが今日の状況だ。
 今、日本の国民は、日本以外の国なら、とっくに政府を転覆させてもおかしくないほどの状況に置かれていながら、なお家畜のように温和しくしているのではないか。

 押しつぶされたバネは、いつか必ず反発する。時間は、かかるかも知れないが。
 圧力が強いほど、虐げられた期間が長いほど、その反動は大きな津波となって、すべての悪意を呑み込むに違いない。

 牙を失ったように見えるが、失われた牙の下で新たな牙が磨かれ
 爪を抜かれてしまったように見えるが、 
抜かれた爪の根元で新たな爪が研がれているはずだ。

 僕らはそれを忘れてはならない。

2012年6月3日日曜日

高速道路は便利なのだが・・・

昨日朝、8時50分、本別海を出発。
 札幌に着いたのは14時少し前だった。
 今日は、朝、11時30分に札幌(JR札幌駅北口付近)を出発。
本別海に着いたのは、17時ちょうどだった。

 往復の距離は約830キロメートル。「400キロは距離じゃない」ということを実感できた。往路より復路の方が所要時間が短いのは、高速道路へのアクセスルートの違いと札幌市内を抜け出す時の時間帯による混雑具合の違いのためだろう。

 高速道路を全面的に利用して往復したわけで、それはそれで安全で快適、そして時間の短縮という恩恵を受けたことになる。
 だが、同時に運転しながら「これで良いのだろうか」という疑問が心の底にずっと沈殿していた。
 400キロを5時間半で走り抜けるためには、その途中の景色を堪能している余裕はない。ひたすら前を向いて、目的地に向かって進むのみだ。
 初夏の北海道の山々を彩る明るい緑や空知、十勝、阿寒、各地の木々の生育の違いなどを楽しむ余裕はない。

 旅は、もっとゆっくりの方が良い。
 高速道路や新幹線は移動するための時間を無駄だ、と決めつける価値観に依拠している。 現実には、金曜日まで仕事だったし、月曜日から再び仕事が始まる。なかなか休んでばかりはいられない。職場に迷惑をかけられない。
 このような「現実」の問題を回避しようとすれば、この価値観はやむを得ないことなのだろう。
 つまり、高速道や高速鉄道への志向を止めるためには、社会的な価値観を大転換させる必要がある。
 本当は、昨年の福島第一原発の事故が、それをするための絶好の機会だったし、そうすることこそ、地震、津波などで失われた多くの生命に報いる方策だったと思う。

 しかし、現実は、それとは反対を向いて動き出そうとしている。なんと愚かなことだろう。喉元過ぎれば熱さを忘れる野田。

2012年6月2日土曜日

特別な日のすてきなライブ

中学から高校にかけて、6月2日に僕の居た場所である。リゾート開発によって今は変わり果てた姿になっている場所も多い。  なぜ、これほどはっきり記録できるのか。  それは、標本のデータが残っているからだ。  この頃の僕は昆虫少年だった。標本を集めることは、もうしていない。  だが、虫を捕まえ、標本にし、細部を観察して種類を調べることで、昆虫の分類を肌で覚えることができたと思っている。  種名を知ることは、自然を読み解くためのボキャブラリーを増やすことだと今も思っている。  それはともかく、6月2日という日は、僕の中では一種の「特異日」だ。  考えてみれば、新しい葉が一斉に展開され、まだ厚みを持たない葉を通した光が林床を明るく照らしている。  その光の中でエンレイソウ、ニリンソウ、アズマイチゲなどのアネモネ属、サンカヨウ、シラネアオイなどの花が思い思いの場所に咲き、ツマキチョウが舞い、ベニヒラタムシやコメツキムシなどの鞘翅目昆虫までが不器用に飛び回っている季節。  それは、北海道の夏緑林地帯から亜寒帯針葉樹林帯にかけての初夏の心象風景となって結晶した。  1964年6月2日 横津岳 大川林道・・・中学2年  1965年6月2日 中の沢ダム・・・・・・中学3年  1966年6月2日 仁山高原・・・・・・・高校1年  1967年6月2日 横津岳 大川林道・・・高校2年  1968年6月2日 蝦夷松山・・・・・・・高校3年  そして2012年。  今年の6月2日を、僕は札幌で迎えるつもりだ。  敬愛するアイヌ民族の歌手でありムックリ、トンコリの演奏家KapiwとApappoの姉妹によるライブ「Kapie & Apappo 札幌ライブ~CIKISANI~」というコンサートを聴きに行く。  この日、このライブがあるということ、それに行こうという気持ちになったこと、様々なことに、漠然として意味を感じる。  そんな思いを秘めて、これから札幌へと向かう。(朝、6時30分 記す)

2012年6月1日金曜日

有限の生命と種の持続可能性

胸部レントゲンと心電図の検査を受けた。
 特に異常は認められなかった。
 ただ、普通の人よりも心臓がやや横に寝ていることが指摘された。心臓が寝ているということは、身体を横にして寝ると心臓は立つことになるのか、などと考えているとワケがわからなくなってくる。
まあ、とにかく健康であると言われたわけで、ありがたいことだと思う。

 今日は、サクラの散る日だった。
 東よりの弱い風で、花びらが雪のように次々に舞い落ちていた。
 朝、イヌと一緒にサクラの下に腰を下ろし、散る様子をしばらく眺めていた。
 つい先日咲き始め、あれほど咲き誇っていた花が、もう終わりの時を迎えているという事実を突き付けられているわけで、これを見た誰もが、無常や生命のはかなさを感じるのだろう。

 そんなセンチメンタリズムに浸るのも悪くないが、生命の無常という現実に立ち、その前提のもとで、持続可能な社会をどう作るかを考えなければならないだろう。すると答は自明なのではないかと思うのだが。
 自然界の生物のほとんどすべては、個体の有限性と種の持続性を巧みに、しかい簡単に統一している。
 ニンゲンは、なぜ、これほど混乱しているのだろう。簡単そうなことなのだが。