2009年4月7日火曜日

針が立つ



 「針が立つ」というらしい。天候が荒れることをだ。羅臼の女性たちがごく普通の会話で使っている表現だ。初めて聞いたとき、天気が悪いと裁縫の針が、自然に一斉に上を向く様子を想像した。アホだ。
 「針」とは、アネロイド気圧計の指針のことだった!
 そう言われてみると、アネロイド気圧計の文字盤で、最も上は1000hPaだ。通常の気圧は大体1010とか1020とかだから1000hPaを指し示すということは、かなり気圧が低下していることを意味する。歴史的に、漁師町では、気圧計の針が上を向いたら嵐が近づいているんだ、というような教え方をしていたのではないだろうか。
 なんだか、とても貴重な、温かみのある表現に出会ったような気になった。
 今度、使ってみようかな。

2009年4月6日月曜日

霧の森と月光





  月光に照らされた森に行った。
 満月までは、まだ何日かあるが、全く光のない森を照らすのに月の光は十分に明るく、青い光の中で、樹木たちは、黒い影となって静かに立っていた。静かに佇んでいるように見えた。しかし、そこでは、昼間とは別のはげしい生命活動が行われていたように感じられた。

 いま、樹木たちは、凍った地面から、わずかに解けだした水分を、かき集めるようにして吸い上げ、はるか高みにある樹冠部まで押し上げる活動の真っ最中なのだろう。競い合って水を吸い上げているのだろう。まだ眠っているように見える森の樹木たちは、生命力の全てをかけて、その仕事に打ち込んでいるに違いない。
 水を押し送る根端の細胞の活動が、数値では感知できない律動となって、晩冬の夜の森をふるわせていたのかも知れない。

  突然に霧が出てきた晩の出来事である。

2009年4月5日日曜日

シマフクロウと写真愛好者たちと

 先日、シマフクロウの保護・増殖活動をしているNPOの理事会が開かれた。

  シマフクロウは、魚食性の大型のフクロウで、かつては北海道のほぼ全域に生息してた。森林の伐採で繁殖に必要な大木が減り、河川の改修やサケ・マスの河口部での捕獲、などによって、生息数が激減し、一時は道内に数十つがいしか残っていないのではないか、と言われた。現在でも百羽余りが生息してるに過ぎず、絶滅に瀕していることに変わりはない。簡単に言うとタンチョウよりももっと少ない個体数しか生息していないのだ。
 シマフクロウの保護・増殖活動は、環境省が直接行っている事業ではなく、特別に高い志を持つ一般の市民の活動に依拠している。
 僕の友人も十数年前に勤めを辞め、道東に移り住んでシマフクロウの保護と増殖に取り組み始めた。やはり、全くのボランティアである。しかし、個人の活動にはいくつかの限界がある。
 第一は資金の問題。保護/増殖活動には、餌となる生きた魚の購入、巣箱の設置など莫大なお金がかかる。しかし、個人で集めることのできる寄付には限界がある。
  第二は時間の問題。絶滅しかかっている種を復活させるためには数十年、時には数百年にも及ぶ時を必要とする。一人の人間の寿命をはるかに超えたスケールの時間が必要なのだ。
 とても個人で対応できるものではない。

 そこで、彼は、昨年NPO法人を立ち上げて大口の寄付を集めることと後継者となる人材の育成に取り組み始めた。これは、画期的なことだった。僕も積極的に協力していくことにした。
 このNPOの活動は、多くの寄付によって支えられているのだが、いくつかの困難な問題にも直面している。その最大のものは、保護・増殖活動を行っている場所を明らかにできない、ということである。原則的にはその市町村名さえ明らかにすることがはばかられるのだ。
 その理由はカメラマンである。絶滅に瀕している鳥の写真を撮りたい、という写真愛好家が多すぎるのだ。もし、その生息場所を明らかにしたならば、おそらく数十、数百のヒトが大型レンズを抱えて集まり、シマフクロウが現れるとフラッシュの連射を浴びせることになるだろう。タンチョウを狙って冬の阿寒町や鶴居村に集まる写真愛好者の群れを見ると、このような結果は簡単に予想できる。
 もちろん中には、謙虚な気持ちを持ち、真摯な態度で自然と向き合うカメラマンもいると思うのだが、つい目についてしまうのは、自分の望む写真さえ撮ってしまえば後のことはお構いなし、というモラルを持たない写真愛好者たちである。

 このことによって、NPOの活動に必要な資金を集めることにも若干の支障が出るのだ。つまり、「自分の寄付したお金の使い道が明らかにされないような団体には寄付できない」という声が上がるのだ。この考えにも一理ある。
 だから、結果的にはシマフクロウの現状とそれを取り巻く世間の現状を十分理解し、寄付金の使途がそれほどハッキリと知らされなくても構わない、という個人や企業にしか頼ることができないのだ。
 もちろんNPOの側も全てを秘密主義にするのではなく、可能な限り情報を公開するよう努める必要がある。だが、それには限界があるということも理解して欲しい。

 上から目線で「金を出す以上、何でも知る権利がある」と居直るような態度(最近、この手の権利主張がやたら目につくのだが)には、何となく近寄りがたい、または与しがたい距離を感じる。

2009年4月4日土曜日

うれしい知らせ

 一昨日、嬉しい電話があった。8年前に卒業させた生徒から結婚式に出席してほしい、と言ってきたのだ。しかも、結婚相手は、高校の時から交際していた同期生。彼も1年生の時に僕が担任していた。
 彼女は、真面目な生徒だった。北海道新聞のコラムに彼女についてこんなエピソードを紹介したことがあった。

 その時、A子、E子と私の三人は、フライドポテトの材料を探して、町に出てきた。学校祭のHR企画で喫茶店をやることになっていたのだ。スーパーの冷凍食品の並んだ棚を見て、E子とA子は動かなくなってしまった。フライドポテトは、予想していた値段よりはるかに高かったからだ。もう、模擬店の売値を変更はできない。赤字覚悟で売るか、一人分の量を極端に減らすか。皆、見通しの甘さを後悔した。
 「私、ちょっと店長に聞いてくる。」その時、E子が言い出した。
 E子はそのスーパーに隣接するMバーガーでアルバイトをしていた。そこには、当然のことながらフライドポテトがある。その材料を分けてもらおう、と考たらしい。
「調理した製品ならいくらでも売ってくれるだろうけど、材料を分けてくれるとは思えないなあ。」と私。
「とにかく行って、聞いてくる。」と彼女。
後姿を見送るしかなかった。

 しばらくして、
「あのね、先生!必要なだけ売ってくれるって。コッソリだけどね。それに、店長の好意で一袋寄付してくれるんだって。」と、うれしそうに戻ってきた。大手の有名なチェーン店である。私は耳を疑った。

  E子は牧場の娘だ。働き者で家業を手伝ってトラクターも運転する。体を動かすことをいとわない明るい性格。入学してまもなく、この店でアルバイトを始め、ずっと続けてきた。今も続けている。
 仕事が長続きせず、アルバイト先でさえ次々に変えていく飽きっぽい者も少なくない。そんな中で、よくがんばってるな、という印象を持っていた。しかし、ここまで店から信頼されているとは。彼女の人柄をあらためて見直した。
 そして、この経験は彼女に、誠実に働き続ければ、社会が自分を評価してくれる、ということを実感させたことだろう。もちろん、クラスの他の生徒にも。生きた教訓になっただろうことは間違いない。
 学校祭当日、わがクラスのフライドポテトの味は全校の評判を呼んだ。会う人ごとに、皆が私に訊いたのだ。
「どうして3Aのフライドポテトだけがあんなに美味しいの?」と。
 嬉しさをかみ殺し、本当の事を言いたい気持ちをグッとガマンして、とぼけた。
「なんでかねぇ?生徒たちがココロを込めて作ったからかもしれないねぇ」

2009年4月3日金曜日

進化と性格

 昨日に引き続き、好天。北側に高気圧があって風が冷たいが日差しは春に違いない。だが、風も弱く穏やかな一日である。
 年度始めの週末ということで、新任者の挨拶回りなどが錯綜して、落ち着かない一日であった。このまま週末に突入し、小中学校は来週から新学期がスタートするわけだ。
 この時期にいつも思うことだが、年度を終えてから新たな年度が始まるまでがあまりにも慌ただしい。もう少しゆとりがあれば、新年度の計画をジックリと練ることができるだろうと思うのだが。

 昨日、友人と話していて、人間の性(しょう)の話になった。血液型で性格を分類することを信奉しているヒトも多いが、それは、あまりに単純すぎるのではないか、というのである。血液型では、たった四つのタイプにしか分類できないわけで、無理矢理それに当てはめるのは乱暴すぎるように思う、というところから話が始まった。
  そこで、海と空と陸の三つの要素をどのような割合で持っているか、で性格を表せないだろうか、ということになったのだ。そもそもの発端はそれぞれの環境が生物をどう進化させるか、ということだった。
 つまり、海という環境は、重力の影響を浮力で相殺してしまうので生物を大型化させていく。反対に空は、重力に逆らって飛ぶために、極端な軽量化と簡素化を生物の形態に求めてくる。陸上は、一定の軽量化を求めると同時に大型化と小型化の相反する進化の方向を生物に要求する。
 このような事実から、人間の性格にも「海的な面」「空的な面」「陸的な面」という三つの側面があり、それぞれの割合でその人の性格や相性が表現できるのではないか、ということになったのだ。
 まあ、戯れ言に過ぎないのだけれど、ちょっと興味深い話になったので、記憶にとどめておこう、と考えたわけであります。

2009年4月2日木曜日

早春の海岸で




 久しぶりに青空の一日となった。
 夕方、相泊まで行ってみた。オッカバケ漁港のカーブで知床岳が夕空にくっきりとそびえていた。美しい知床半島で生活していることが実感できるひと時だ。こんなにも美しい場で、僕は暮らしていたのだ。
 濃い蒼色に変容する直前の海も、バラ色に照り返す雪も、ピンクに染まった空も全てが知床なのだ、と感じた。(ワケわからんネ)
 とにかく、久しぶりの良い夕方でした。

2009年4月1日水曜日

シャチ





 ビジターセンターにシャチの骨格標本が設置された。
 2004年2月、羅臼町相泊の海岸に一つの群れが集団で座礁したことがあった。その時の一頭の雄の骨格がこのほど展示されたのだ。体重6.6トンだという。それまで空きスペースがあったことがウソのようた。高い天井からの空間がすべて埋まっている。すごい存在感である。近くにあったヒグマやオオワシの剥製が小さく見える。

 こんな大きな動物が泳ぎ回っているのが海なのだ。
 まさに「レプン(海)カムイ(神)」だ。