2011年3月7日月曜日

AFAN



AFAN
この名前は、C.W.ニコルさんの主宰する「アファン財団」や「アファンの森」から借用した。
ケルト語で「風の通る所」という意味だとか。

もうすぐ生後9ヶ月になる。
何にでも興味を持つ好奇心旺盛な年頃である。また、もっとも活動的な時期でもある。

家で過ごす休日はたいてい一緒に散歩する。
現在使われていない牧草地およそ10ヘクタールとそれに隣接した河畔林が僕らの遊び場だ。
小さいときからそこを走り回っていたのだが、最近になって一段と速く走るようになったみたいだ。
ピレニーズなので、イヌとしては大きな方だが、まさに「風のように」軽やかに走る。

昨日、日曜日の朝は、三区画に分かれた元の牧草地を越え、普段はあまり行くことのできない河畔林の奥深くまで入り込んだ。そして、西別川の岸まで達した。
慣れた場所では、僕から離れて走り回っるアファンだが、初めて行く所では、僕から離れようとしない。そう、彼女は良く言えば慎重、ハッキリ言えば小心者である。
その日も、最初のうちはすぐそばを歩いていた。

ところが、そのうちにエゾシカの大腿骨を見つけた。嬉しそうに骨を咥えた彼女は、僕から離れ、一人で歩きだした。無理もない。家では、彼女が咥える物はたいてい大事な物であり、ほとんどの場合、取り上げられる。
彼女は、自分で見つけた「良い物」を僕に取られないよう最大限の注意を払ったのだろう。

きょうは時間があるし、たまには好きなようにさせてやろうと僕は考えた。だから飽きるまで待とうと、切り株に腰を下ろし、一休みすることにした。

しばらくして彼女は視界から消えたが、近くで骨に夢中になっているのだろうと思っていた。

やがて、もう十分だと思ったので、呼んでみた。
だが、いくら待っても帰ってこない。何度も呼んでみたが来る気配がない。いつもなら走ってくるのだが。

ひょっとしたら先に家に戻って骨を楽しんでいるのかも知れない。そう考えて家に戻ることにした。

しかし、案に相違して家に帰っている様子はないではないか。
この時点で僕は少々焦りを感じた。やはり、僕は骨のあった場所を離れるべきじゃなかったのか。
急いで川に向かって戻り始めた。

そして、いつも散歩している草地を横切り、隣の区画にさしかかったとき、後ろでハァハァという息づかいが聞こえ、アファンが嬉しそうに走り寄ってきた。

「ああ、なあんだ。そこにいたのか?心配したよ。」などと言いながら二人で戻り始めた。
アファンは途中まで一緒に歩いていたが、草地の中程まで来たとき一人で走り出し、そこに放り出してあった骨を大事そうに咥えた。
彼女は、いつも散歩している、我が家にもっとも近い草地まで骨を運び、そこで、ゆっくりと楽しんでいた。
そして、自分を探しに戻る僕を見つけ、骨を放りだして追いかけてきたのだろう。
骨に魅力を感じつつも、自分を探す僕を呼び止めてくれた、そんな気持ちが伝わってきた。

もし、言葉を発したなら
「探すのが下手ですねえ。ホントに世話がやけるんだから。」くらいのことを言ったことだろう。

こんなココロの交流がある時、イヌとともに暮らす喜びを深く味わうことができる。

2011年3月6日日曜日

ゴミとなった生ゴミ処理機

 ひと頃、「生ゴミ処理機」というものが流行した。
 我が家でも早速、ゴミの減量、資源再利用の観点から張り切って購入した。町からの補助金があったがそれでも結構高価だった気がする。

 一人がけのイスほどの大きさ。野菜くずなどの生ゴミを「チップ」と呼ばれるオガ屑状の粉と混ぜて入れる。容器の中でバーが回転して攪拌し、ヒーターで温度管理をして発酵を促進させるというしくみの機械だ。
 2003年頃の話だ。

 一昨年、我が家の電気料金が異常に高いことが気になり、電気器具の使用電力量を点検してみた。可能な限り節約に努めたがあまり改善されなかった。最後に突き止めたのがこの生ゴミ処理機で、これの使用を止めた途端に電気料金は3分の2ほどに減った。

 この機械は、不調になってきたこともあり、それ以来、稼働を停止していた。
 昨年の春、狭い勝手口にデーンと置かれていて、非常に場所ふさぎだったので、屋外に出して、野ざらしになっていた。
 そして今日、ついに分解して廃棄する作業を行った。

機械を分解してみるとその設計者の思いが伝わってくることがしばしばある。
 この機械は、試作品を急いで販売した、という印象が強い。
 例えば、外側のケースがタッピングビスで無造作に止められていたこと、発酵室と攪拌用のモーターなど動力部分の隔離が不十分で駆動部にかなりほこりが入り込んでいたこと、小型の機械である割には使われているビスの種類が多く、8種類以上に及ぶ点などが、いかにも「開発途上」という感じだった。

 それはともかく、有機物を発酵させて、堆肥として使うという発想は良いとしても、そのためにモーターを回し、ヒーターを張りめぐらせて400ワット近い電力を使うというのこと自体が大きな矛盾ではないだろうか。さらにチップを買い足す必要があったり、ランニングコストがかかり過ぎた。
 2003年に導入したこの機械は、2009年の冬には稼働を止めたわけだから5年半ほどしか働いていなかったことになる。
 まあ、新しいアイディアにはこのような失敗はつきものなのだけれども。

 モーターとスプロケットは、回転魚干し機として利用しようかと考えている。外側のケースは、中でミミズでも増殖させて本格的な堆肥作りに再利用するつもりだ。

2011年3月5日土曜日

サヨナラの日





 朝、アファンと散歩していたらオオワシが舞っていた。
2羽、3羽、7羽と視界にはいるワシがどんどん増えていき、最終的には14羽ほどになった。

 こういう晴れた日には、上昇気流が出来る。ワシたちはそれに乗って、どんどん上昇し、相当な高さに達すると繁殖地を目指して一気に飛び去るのだそうだ。
 オオワシたちの繁殖地はカムチャツカ半島や沿海地方のオホーツク海岸だ。無事に繁殖地に戻り、次の冬にはまた渡って来てほしいものだ。
 地上では、こちらに残って繁殖するオジロワシのつがいが鳴き交わしていた。まるで、帰って行くオオワシを見送るみたいに。

 ヤナギも芽吹き始めている。
明日は啓蟄だ。

2011年3月4日金曜日

泣いちゃったよ、卒業式で

 教育長の代理で近くの高等養護学校の卒業式に出席してきた。

 36人の卒業生を送り出す式だ。
 心身の障害を背負った子や種々の理由で「普通」の学校に通うことを困難、とされている子たち36人が立派に卒業する姿を見せていただいた。
この子たちの三年間が悪戦苦闘の連続であり、それでありながら明るく楽しい学校生活だったであろうことが、よく伝わってきた。

 最初のクラスの四人目くらいの男の子が、証書を受け取り自席に戻るとき、突然、担任の名を呼び、
 「○○先生、三年間ありがとうございました。」と大きな声で呼びかけた。
 マイクの前で呼名をしていた担任の先生の顔は、その瞬間に泣き顔に変わった。
 また、答辞も感動的だった。始めのうちは、他の学校の卒業式とあまり変わりのない内容が淡々と読み進められいたのだが、後半になって、その生徒のお母さんへの感謝の言葉に変わった。途中でお父さんが亡くなり、お母さんが独りで頑張って、その子を支えてきたのだという。
 「これからは母親に孝行したい」と結ばれていた。
 今まで卒業式で泣いたことはなかったのだが、今日は泣いてしまった。
 答辞の後に「式歌」があって、涙を乾かす時間があってよかった。

 それにしても・・・・
 現在の養護学校の姿をみていると、言いたいことがたくさんあり、様々な疑問や怒りがこみ上げてくるのだが。
 もう少し整理してから書こう。
 今日は、おめでたい卒業の日だし。

2011年3月3日木曜日

開発途上国日本

 昨日の共同通信の記事にこんなものがあった。

 国民健康保険(国保)の保険料を滞納して「無保険」状態になったり、保険証は持っていても医療費の自己負担分を払えなかったりして受診が遅れ亡くなった人が昨年、24都道府県で71人に上り、前年(47人)の約1.5倍に増えたことが2日、全日本民主医療機関連合会(民医連)の調査で分かった。
 失業者や非正規労働者が多く、民医連は「厳しい雇用状況が続く中、払いたくても払えない人が急増しており、もはや『国民皆保険制度』は崩壊している」と指摘。調査対象は民医連加盟の病院や診療所計1767施設で「背後にはもっと多くの犠牲者がいる可能性がある」としている。
 71人のうち、保険料滞納は42人。内訳はまったく保険がない「無保険」が25人、滞納のため有効期間が短くなる「短期保険証」が10人、さらに滞納が続き保険証を返して医療費全額をいったん払わなければならない「資格証明書」が7人。
 都道府県別では長野、兵庫、沖縄が4人で最多。東京、神奈川、石川が3人。職業別では無職26人、非正規10人、自営業3人、ホームレス2人、年金生活者1人。年齢別では60代18人、50代11人、40代7人、70代4人、80代と30代が各1人。
                         2011/03/02 11:48 【共同通信】

 僕たちの国には、国民に銃口をむけるような独裁者はおらず、憲法によって、文化的で最低限度の生活を送る権利を保障されている、ことになっている。
だが、この記事のような事実は、これらの建前が絵に描いた餅であることを示している。

 もちろん、今に始まったことではないけれども、僕たちは、このような事実と数字を記憶しておく必要がある。ともすると、その時々の気分や勢いで、事実を見誤らせるような報道が氾濫することも少なくないから。

2011年3月2日水曜日

プロメテウスの嘆き

 もし
 日本が
 「先進国」なら
 もう
 いい加減に
 大学や高校をブランドのように見立てるのは、止められないのだろうか。
 
 入学の門戸をもう少し広げ、卒業の条件を厳しくすることで
 たとえ不正行為で入学できても、ほとんど意味がないという状態を作ることはできないだろうか。
 その結果、大学生がもっと本気で勉強するようになるなら、なお良いことだろう。

 携帯電話や様々な機器の発達した今日、百年前と変わらないペーパーテストに頼って選抜していたのでは、不正行為を防止しきれないのではないかと思う。
 もう限界であろう。

 携帯電話などを使った不正行為の防止策に、莫大なエネルギーが注がれているのは、大きな損失だとういう気がしてならない。
 大学を取り巻く構造を変えなければ
 入試制度は、もう耐えられないのではないだろうか。

 もっとも、こんな事はもう言われて久しいのだろうが。

2011年3月1日火曜日

わかってほしいんだが

キミは、知床五湖の喧噪を賑やかというのか?

クルマの排気ガスが濃く漂い

ガヤガヤと声高に話しながら歩く

観光客の列が途切れることなく続く

駐車場に入りきれないクルマ列をなす

     あの静謐はどこへ行った?

     あの輝いていた「地の涯て」のシンボルはどこへ消えた?

そして、いま

五湖を貪りつくした欲望は

次の獲物として羅臼湖を狙っている

いったい何万本の

可憐な花を踏みつければいいのか

山中に都市の便利さを求める人たちを

何十万人集めれば満足するのだ

「自然の景観を楽しみに来る人たちを
 親切に迎えたい。
 その人々の必要とするものをそろえたい。
 ただそれだけだ。
 自然を壊す気は無いんだ。
 そして、もっともっとこの町を
 繁栄させたい
 潤わせたい。」と

キミはそう言ったね

大音量の歌が流れることが

都会の商店街を歩くときと

同じ服装の人々が

花や樹や鳥や虫に

何の関心も示さず

大声で、

女優の離婚の話や

おいしいラーメンの話などをしながら

ただ、「訪れる」ことを目的に訪れるような観光地を

キミは本当の観光地と思うか?



自然から切り離されて

十数万年生きてきた

人間の過去と未来を思いながら

野の花に心を寄せ

鳥の歌に耳を傾け

チョウやトンボの舞に見とれて

静寂に包まれた中を静かに歩く

そして、

いつまでもここがそんな場所であるために

払われている注意や努力に思いをいたし

この場所が

これからもずっとこのままであるようにという望みを

あらためて心に抱いて帰って行く

羅臼湖は

そんな場所であるべきじゃないのか


以上、エコツーリズム協議会
第二回羅臼湖会合に出席して心に浮かんだことです。